昨日はまた一人の肝冷斎が・・・。最期に「そば、おいしうございました・・・」の一言を遺して・・・。
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アルコール分解酵素は大切でございますね。これが無いと社会人としての活動が大きく阻害される要因ともなるのである。
李氏朝鮮のはじめのころ、貧しい書生・承教なる者が死んだ。隣家には漆塗りの職人が住んでいたが、生前からよい飲み友達であった。
ある晩、隣家の職人は
持一壺来設奠。
一壺を持ち来たりて奠を設く。
霊を慰めるため、と称して一本の酒瓶と一碗のぐい呑み茶碗をぶらさげて位牌の前にやってきた。
位牌の前に座って、曰く、
平生酬酌必先勧我、我固先飲。
平生の酬酌、必ずまず我に勧む、我もとより先ず飲まん。
「いつもさかずきのやりとりの時には、まずわしに一杯飲まれよ、と勧めてくれましたなあ。いつもどおり、わしからまず飲みますぞ」
そう言うて、酒瓶から茶碗に酒を灌ぎ、まず自ら飲んだ。
ぐいぐいぐい。
飲み干しました。
「ふうー。・・・さて、と」
隣人は
次酌一碗、奠霊座。
次いで一碗に酌(つ)ぎ、霊座に奠す。
次に茶碗に酒を灌ぎ、位牌の前に置いた。
そしてじっと位牌を見つめていた。
小頃、曰。
小頃にして曰う。
しばらくしてから、おもむろに言った。
神之来飲、吾不見也。残杯余瀝、甚可惜也。
神の来飲するや、吾見ざるなり。残杯余瀝、甚だ惜しむべし。
「神霊がお見えになって飲む様子は、わしのような不徳ものの目には見え申さぬ(が、もうお見えになって飲まれたころでしょう)。お飲みになったさかずきに残った液体は捨ててしまうにはもったいのうございますなあ」
遂飲之。
遂にこれを飲む。
これも自らが飲んだ。
ぐいぐいぐい。
飲み干しました。
それから、また茶碗に酒を灌ぎ、
挙手告霊座、曰、酬酌之礼、此固属我。。
手を挙げ霊座に告げて曰く、「酬酌の礼、これもとより我に属す」と。
手をあげて位牌の方に挨拶して、言うた。
「さかずきはやりとりするもの、と周の時代から決まっております。今度はまたわしの番ですなあ」
遂飲之。
遂にこれを飲む。
またぐいぐいと飲み干してしまった。
これを飲み干すと、
一壺已罄。
一壺すでに罄せり。
酒瓶はもうからっぽになったらしく、叩くと音を立てた。
職人は酒瓶を覗いて酒の無いのを確かめると、位牌を見つめ、
「これにて酬酌の礼は終わり。あなたともお別れじゃ」
と一言言い、酒瓶を横倒しに転がして、
遂径去。
遂に径去せり。
家族に挨拶も無く、まっすぐいなくなってしまった。
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アルコール分解酵素が無いと、こんなこともできないのですからさびしい限りじゃ。
ちなみにこの話、李朝初期の徐居正(1420〜1488)の撰した笑話集である「太平閑話滑稽伝」に拠りました(第十九則)が、どこが「滑稽」なのかわからん。
徐居正、字は剛中、四佳亭と号す。幼より神童と称せられ、25歳のとき科挙の文科に及第、刑曹判書兼文館大提学に至る(←どういう役職かよくわからないが高官らしい)。死後、文忠公の諡号を賜った。「東文選」「東国輿地勝覧」「東国通鑑」などの編纂にも携わった「東国文宗」(東の国の大文人)である。 関連→「瓠葉」