経典を引いても励ましの手紙は無かった・・・ので、また稗史小説の類。
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唐のなかごろ、8世紀の初めごろのことでございますが、幽州(いまのペキン周辺)の都督であった孫佺が契丹の討伐を計画していたところ、太史令の薛訥から手紙があり、
「星の並びがあまりに悪い。
季月不可入賊、大凶也。
季月に賊に入るべからず、大凶なり。
この夏の終わりの月(六月)には契丹の賊どもを討伐するために国境を越えてはなりませぬ。大いに不吉でございますぞ」
と書かれておったという。
孫佺、思えらく、
「六月に北伐をしようというのはまだ公表されていることではない。いかに占星の名手とはいえ、薛訥はどうしてこのことを知ったのであろうか」
部将たちの誰かから洩れたものに違いないと考えて、
「わが軍の中にわしの方針に反対する者がいるようだが、今後、契丹討伐について論おうとする者は斬る!」
と強く令を達して戒めた。
夏六月は契丹を攻めるに一番よい月である。この月を逃すと北の草原には秋風が吹きはじめ、やがて寒波が至って、唐軍の行動は必ず制約されることになるからだ。
孫佺は予定通り北伐を開始した。
出軍之日、有白虹垂頭於軍門。
出軍の日、白虹の頭を軍門に垂るるあり。
出陣の日、幽州城の空に不吉な白い虹がかかり、その一方の端はあろうことか軍の出発する門に垂れさがっていた。
その夜、第一日の野営の際、
大星落於営内。
大いなる星、営内に落つ。
巨大な隕石が野営地に落ちた。
激しい爆発音があり、火柱が立ち、多くの人馬が死んだが、
兵将無敢言者。
兵将あえて言う者無し。
兵士も部将たちも、誰もそのことを一言も口にしなかった。
都督の戦略を批判するものと名指されて、斬罪に処せられることを恐れたのである。
以降、軍が北に向かって移動すると、その通り過ぎた後には、
鵶烏鴟鳶等並失。
鵶・烏・鴟・鳶等並びに失わる。
大ガラスや普通のカラスやミミズクやトビといった凶悪な鳥たちがいなくなってしまった。
皆随軍去。
みな、軍に随いて去る。
これらの鳥はすべて軍のあとについて行ったのである。
その鳴き騒ぐ声のまがまがしいこと、軍士らの背筋をも凍りつかせるに十分であった。
―――二十日の後―――
契丹と会敵した幽州軍は、戦利あらず、全滅した。
烏鳶食其肉焉。
烏・鳶その肉を食らえり。
ついていったカラスやトビなどは、全滅した軍士たちの屍肉を食べ漁ったのである。
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うひゃー、全滅。しかし○○院は通常選挙ですから、○○院の解散と違って避けることはできなかったのである。
唐・張鷟「朝野僉載」巻一より。