平成25年7月20日(土)  目次へ  前回に戻る

 

18日の記事にあるように、肝冷斎2号機は世間の冷酷という罰を受けて消滅した。

さて、わしら肝冷斎グループ(族)はもともとチュウゴクの聖人賢者たちの遺した経典や語録から、みなさんの人生に役立つようなことを教えてしんぜようと思ってこのHPをはじめたのであった。ところが、みなさんがあんまりにも聴く耳を持たないので、こちらもどんどんダラクしていって、稗史小説の類に筆を染めて行ってしまったのじゃった・・・。

今日はひさしぶりで所期の目的に沿ったお言葉を紹介してみます。

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天之方虐、無然謔謔。

天のまさに虐せんとする、然るに謔謔たる無し。

天が、人民に苦悩を与えようとするとき、からかったりなどするはずがない。

のだそうです。天も人民を苦しめることに苦悩しながら、君王など社会上層部を戒めるために災いを下すのである。

(上層部を戒めるために)災害が下ろうとするのを見て、

老夫灌灌、小子蹻蹻、匪我言耄、爾用憂謔。

老夫は灌灌(かんかん)たるも小子は蹻蹻(きょうきょう)たり、我が言の耄なるを匪とし、「爾、憂いを用ってす」と謔す。

わしら年寄りは口をあけて叫び呼ぶ。ところが、それを見て、若い者たちは驕りたかぶり、「年寄たちの言葉はおいぼれてボケた言葉だから」と否定し、「おまえさんたちは心配し過ぎだよ」とからかうのである。

そうこうしているうちに、

多将熇熇、不可救薬。

多く熇熇(こくこく)を将(ひ)き、薬をもちて救うべからず。

どんどん災いは広がって、もはやどうしても救えなくなってしまうのじゃよ。

「熇」(コク)は火が燃えあがるさま。

ようく考えてみてくださいよ。

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「詩経」大雅・生民より。

東坡蘇氏曰く

憂未至而救之、猶可為也。苟俟其益多、則如火之盛、不可復救矣。

憂いいまだ至らずしてこれを救う、なお為すべきなり。かりにその益すこと多きを俟てば、すなわち火の盛んなるが如く、また救うべからざるなり。

心配ごとがまだ起こらないうちに対処するのなら、なんとかできるであろう。しかし、それがどんどん増えてくるまで待ってから対処するのでは、火がどんどん燃えあがりはじめると手の付けどころが無くなるように、もうどうしようもなくなるものなのである。

ということなので、わしら年寄の話はよく聴くにかぎります。

けど、みなさんはどう考えるのかなあ。わしはまた稗史小説の類の話ばかりしててもいいのかな?

 

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