生物学的。
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「雑阿含経」に曰く、
昔者人寿八万四千歳。女人年五百歳爾乃行嫁。
昔、人寿八万四千歳。女人は年五百歳にしてすなわち行嫁す。
はるか古代にはニンゲンの寿命は八万四千歳であった。そのころは女性は五百歳でヨメに行ったということじゃ。
また、
「弥勒来時経」「古来時世経」「弥勒成仏経」「弥勒下生成仏経」、いずれにも曰く、
仏言当来之世、人当長命、寿八万歳。女人五百歳乃行嫁耳。
仏言う、当来の世、人まさに長命にして寿八万歳なるべし。女人五百歳すなわち行嫁するのみ。
ブッダが言うには、
「やがて来る未来の世には、ニンゲンの寿命は延びて八万歳になるであろう。そのときには、女性は五百歳でやっとヨメに行くことになるであろう」
と。
あるいは、
「舎衛国王夢見十事経」「国王不梨先泥十夢経」には曰く、
王夢見十事、有小樹生実。仏言後世女人年少当行抱子。
王、夢に十事を見るに、小樹の実を生ずるあり。仏言う、後世女人、年少にしてまさに行きて子を抱くべし、と。
(プリセンナ)王が夢の中で、未来を予言する十の事件を見た。その一つに、「小さな木が実を生じる」というのがあった。
王、問うに、「これはいかなる意味であろうか」と。
ブッダ答えて言う、
「王よ、その夢を解くに、未来においては、女性がいまだ幼いうちにヨメに行って、子を産み抱くことになるであろう」
と。
どれぐらい幼いうちにヨメに行くかといいますと、「長阿含経」に曰く、
劫転減人寿乃至十歳、女生五月皆已行嫁。
劫転じて人寿を減じ、すなわち十歳に至れば、女生じて五月、みなすでに行嫁す。
宇宙が成長から収縮へと向かう時代になると、ニンゲンの寿命はどんどん短くなり、十歳になってしまう。そのころには、女性は生まれて五か月でみなもうヨメに行くことになるのである。
のだそうです。
へー。
若いのにたいへんですなあ。
仏法のいうところはたいていこのように荒唐無稽なのであるが、チュウゴクでも古代のひとは長寿であったという伝説がある。ただし、例えば「素問」に書いてあるようにたかだか百二十歳というにすぎない。ところが、後世になると儒者の中にも十万八千歳とか三万六千歳とか言い出すやつが出てきて、困ったことである。
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と、清のひと兪正燮が嘆いております。(「癸巳存稿」巻十三より) (参考→明・徐応秋「玉芝堂談薈」より「人寿」)
ちなみに生物の染色体の末端には「テロメア」と呼ばれる特殊な部分があるのだそうでして、ここは「テロメア構造」と呼ばれる
TTAGGG(Tはチミン、Aはアデニン、Gはグアニン)
という構造が千回ぐらい繰り返されているのだそうです。
細胞分裂というにはかなり不安定なことだそうで、そのたびに染色体は少しづつ壊れるのだそうですが、その際、末端にあるこの「テロメア」の部分が壊れるようにできているのだそうで、細胞分裂のたびにテロメアは引きちぎれて少しづつ短くなっていく。そして、この「テロメア構造」がすべて消耗してしまうと、染色体は正常な細胞分裂ができなくなり、細胞が死んでしまうのだそうでございます。(わたしが言っているのではなく、池田清彦「生物にとって時間とは何か」(角川文庫平成25.5)p24に拠る)
なので、長生きしてほしいのですが、百二十歳ぐらいが限界なのかも知れません。
なお賢者的には、この世のことが正常に動くには「役に立っていない部分」が無ければいかんのだ、という「鉄則」がここにも現れていることにも注意せねばなりませんぞ。