平成25年6月24日(月)  目次へ  前回に戻る

 

飲み会。あたまが痛い・・・。

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チャイナの成化二年に当たる年(1466)。

2月25日

尚徳王、往鬼界、征討其不臣之罪。

尚徳王、鬼界に往き、その不臣の罪を征討す。

ときの「りうきうよのぬし」尚徳は喜界が嶋の在地土豪らがりうきうに服属せぬことを理由に討伐のいくさを起こした。

一か月を経て、

3月13日

大獲勝捷、而帰来焉。

大いに勝捷を獲て、帰り来たれり。

大勝利で沖縄本島に帰ってきた。

この凱旋の時、泊の港には多くのひとびとが出迎えたが、その中に一人の婦人あり。

捧一盆水、乃跪于主前。

一盆水を捧げて、すなわち主前に跪く。

水を湛えた盆をささげて、よのぬしさまの前にひざまずいたのであった。

言うに、

妾聞王凱旋、持献此水、聊表鄙裏。請君洗玉手。

妾は王の凱旋せるを聞き、この水を持ち献げて、いささか鄙裏を表せんとす。請う、君、玉手を洗われんことを。

「わらわはよのぬしさまが凱旋なさったのを聞いて、この水をご献上申し上げ、少しばかりわらわのいやしい心のうちを現わしたいと思ってここにまいりました。どうぞ、よのぬしさま、玉のごとき御手をお洗いくださいませ」

と。

王はその語を聞いて、心に感ずるところがあり、

「おまえはどこの御婦人かな?」

と訊ねた。

婦人曰く、

「わらわは呉氏の宗重の妻でございます」

王曰く、

「おまえは女であるが、かえってだ男子に勝っているようじゃな」

そして、

臨盆洗手。

盆に臨みて手を洗う。

盆の水で手を洗った。

洗い終えて王者の乗りモノである輦に乗り、首里城に帰ったのであった。

後日、呉氏の夫妻を招いて城中に宴を張り、その夫を泊(とまり)の里主に命じた。現代(18世紀)の泊地頭職に当たる。

また、妻の方には泊大阿母(とまりおおあも)の位を授けた。

以賜田地、即高四石二斗八合六勺六才。

以て田地を賜うこと、即ち高四石二斗八合六勺六才なり。

加えて田地を賜った。その田地での収穫量は米757リットル余りであった。

日本の石制(一石=180リットル)で計算した。

而経歴已遠、又失落其御朱印、如今毎年、賜米五斗、雑石一石。

而して経歴すでに遠く、またその御朱印を失落し、今の如きは毎年、米五斗、雑石(穀)一石を賜う。

その後、ずいぶん時も経っており、またそのときいただいた赤い印を押した安堵状を無くしてしまっており、現代(18世紀)には、毎年、米90リットル、雑穀180リットルしかもらっていない。

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「琉球国旧記」巻一より。りうきうよのぬしが15世紀に征服した奄美の地であったが、16世紀を通じて何度か叛乱を起こし、りうきうよのぬしはそのつど兵を送って征討してきた。やがて1607年にサツマ入りを迎え、よのぬしは奄美の領有を永久に失うのである。

しかしながら、盆の水を捧げると何故「男子に勝る」のか、考えても考えてもわからない。どんどん頭が痛くなってまいります。この水は「孵(す)で水」(若返りの聖なる水)だったのかも知れないが、それでも「男子に勝る」の意味はわからぬのだ。

 

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