あちー。こんな暑くてどうにも寝付かれぬ夜は、焼酎でも呷って眠ってしまうしかないぜ。大人なら、な。
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えー、
凡酒皆愈陳愈貴、焼酒亦然。
およそ酒は、みないよいよ陳なればいよいよ貴く、焼酒もまた然り。
だいたい酒というものは、古くなれば古くなるほど値打ちが出る。焼酎もそうである。
焼酎という酒については、清の大文人・袁随園先生がおっしゃっておられますによれば、―――
焼酒乃人中之光棍、県中之酷吏。
焼酒はすなわち人中の光棍、県中の酷吏なり。
焼酎という酒は、たとえば人間の中でいえば「ならずもの」、県役場の中でいえば血も涙も無い冷酷な役人、である。
「光棍」は近世俗語で「ならずもの」。「酷吏」は「史記」以来の伝統ある言葉で、規則を厳しく当てはめて人情の無い冷酷なタイプの役人をいう。
要するに、善良な民にとっては「毒」だ。避けておくに越したことはない対象である。
しかしながら、
打礌台非光棍不可、除盗賊非酷吏不可。駆風寒、消積滞非焼酒不可。
打礌台(だらいだい)は光棍にあらざれば不可にして、盗賊を除くは酷吏にあらざれば不可なり。風寒を駆り、積滞を消すは焼酒にあらざれば不可なり。
格闘技大会で活躍するのは、ならずもので無くてはできないであろう。盗賊を駆除するのは、血も涙も無い冷酷な役人で無くてはできないことだ。そして、寒気を除き、溜まった悪気を消すのは(ほかのお酒ではダメで)焼酎で無くてはできないのである。
・・・なのだそうである。
「打礌台」(だらいだい)は「打擂台」とも書き、祭礼などの際に設けられる相撲をとる舞台をいい、我が国の「土俵」に当たる。ただしここではそこで行われる相撲大会を指しているのであろう。
そして、
焼酒若蔵至十年、則酒色変緑、上口転甜、亦猶光棍変為良民、便無火気、殊可交也。
焼酒、もし蔵して十年に至れば、すなわち酒色変じて緑となり、上口転じて甜、また光棍の変じて良民と為るがごとく、すなわち火気無く、ことに交わるべきなり。
焼酎は十年も仕舞っておけば、色が変じて緑色になり、上澄みはあまやかになる。これは、「ならずもの」が年を重ねて堅気になったようなものだ。ぎらぎらした気分が無くなって、ぜひとも交際したくなるような人物となったのである。
但不可使洩気耳。
ただ、気を洩らさしむるべからざるのみ。
ただし、焼酎も(ならずものも)その気力をムダに漏れ出させてしまってはいけない。(気力を貯めたままで年を経させることが肝心なのじゃ。)
・・・だそうである。酷吏は蔵して十年経ったらどうなるのかな。定年かな?
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清・梁章鉅「浪跡叢談」三談・巻五より。明日も飲み会、あわもりかな。大人なら悲しみや悩みとともにあわもりを呷るところだが、おいらコドモだからなあ。酒の味などわからないのでちゅ・・・。