沖縄はすでに梅雨入りでじめじめしております。からだのあちこち痒い。
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唐・玄宗皇帝の時のことでございます。
宰相の李適之は唐の皇族に当たり、細かいことにはこだわらない人でしたが、そのころは盛唐といわれる時代、西域や南海との通商が盛んになりつつあり、右肩上がりの世の中でしたから、たいへん人気のある政治家であった。
ある日、非公式な場で、李適之は次席の宰相である李林甫と同席し、親しく語り合った。
李適之の大らかな性格から表面化はしていないが、政治的にはライバルに当たる二人である。天候の話をはじめ、あたりさわりの会話に終始したのであるが、ふと李林甫が思い出したように言うた。
「首席宰相さまは御存知のことでございましょうが、
華山生金。採之可富国。
華山は金を生ず。これを採らば国を富ますべし。
陝西にございます西岳・華山には金鉱がございます。これを採掘すればさらに国の経済を発展させることができるとは思うのでございますが・・・」
「ほう、そうなのか」
他日、李適之は皇帝と内政について懇談した際、このことを話した。
「陝西の華山には金鉱があるそうでございます。これを採掘すればさらに我が国の経済を発展させることができましょう」
「ふむ、まことか」
「御意」
皇帝は明らかにそのことに興味を持たれたようである。大らかな適之は献策を自分だけの手柄にすることはなく、
「陛下、このことは李林甫から聞いたことでございます。陛下がもしこのことを用いられんとするのであれば、ぜひ彼の意見もお聴きいただければと思います」
と付け加えたのであった。
翌日、皇帝は林甫を呼び、このことを問うた。
すると、林甫は大いに驚いたようであったが、やがて意を決したかのように答えるに、
臣知之旧矣。
臣これを知ること旧なり。
「たしかに、わたくしめはずいぶんと以前からそのことは承知しておりました。
しかし、
華山陛下本命、王気之舎、不可穿治。故不敢聞。
華山は陛下の本命、王気の舎(やどり)なれば、穿治すべからず。ゆえに敢えて聞せざるなり。
陛下はもともと華山の精の生まれ変わりだと言われていること、世のひとびとはみな知っております。陛下の王たる気のもとづくところであれば、そこに穴を掘り内部を支配してもし万が一のことがあれば、臣下としては許されることではございませぬ。それゆえ、これまであえてお耳には入れなかったのでございます。
ああ、しかし、適之さまは皇族に連なるお方ですから、そういうことをおっしゃられる権利がある、と思われてもおかしなことはございませぬなあ・・・」
玄宗皇帝は華山の精の生まれ変わりである、というのは当時広く知られたことであった。(こちらを参照のこと→「三郎神」)
林甫のことばを聞いた皇帝は、林甫への信頼をさらに強められるとともに、適之を疎んじるようになったのでございました。
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宋・朱翌「猗覚寮雑記」より。
ああ、鬱陶しい。じめじめした権力争いです。あまりのじめじめに体がさらに痒いので掻いていたら、あちこちに赤い斑点みたいなの出てきた。これはなにかな?