今日はとろんとして一日を過ごした。とろろん。午後、観光がなんたらという講演会に行き、おエライ先生のお話を聞きながら、白昼に夢を見た・・・
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余という学官(県学の教官)が郷里の四川・羅江県に帰ることになったので、その送別の宴である。
お酒もまわってきたので、それではおいら、歌でも歌いまちょー。
歌は古くから伝わる羅江(綿州)の歌「綿州巴歌」でちゅー。
豆子山、打瓦鼓。 豆子山や、瓦鼓を打つ。
陽坪関、撒白雨。 陽坪関や、白雨を撒く。
豆子山(とうしざん)の麓、村の祭りの鼓の音、
陽坪関(ようへいかん)のあたり、天気雨ざあざあ。
「豆子山」「陽平山(陽坪関)」はいずれも羅江と隣村の玄武県の間の山だという。「瓦鼓」は山村中に市などを開く場所を「瓦市」といい、そこで打つ村の太鼓のことである。「白雨」は四川方言で、晴天に降る「天気雨」をいう。
白雨下、娶龍女。 白雨の下、龍女を娶る。
織得絹、二丈五。 織り得たる絹、二丈と五。
一半属羅江、 一半は羅江に属し、
一半属玄武。 一半は玄武に属さん。
天気雨が降りゃ、龍のむすめがヨメに来る。
龍のムスメは絹を織る、絹の長さは二丈と五尺(約7メートル)、
こちら半分は羅江のものじゃ、
そちら半分は玄武のものじゃ。
陽坪関が羅江と玄武の分水嶺になっているのでしょう。
「龍女を娶る」の句、羅江には有名な「龍洞」という溪谷があったので、それを踏まえて「龍女」が唄われたということらしいが、「天気雨」のことを日本国では「狐の嫁入り」とか「鼠の嫁取り」という地方もあるのだから、羅江あたりでは「龍女の嫁入り」と言っていたのかも知れない。
以上が「綿州巴歌」。
我誦綿州歌、 我は誦(うた)う「綿州歌」、
思郷心独苦。 郷を思うの心、独り苦なり。
送君帰、 君が帰るを送る、
羅江浦。 羅江の浦へと。
おいらは歌った「綿州の巴歌」、
故郷懐かし、ひとりぼっちのさびしさに。
おまえは帰る、羅江のよどみへ
おいらはおまえを見送るばかり。
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夢から醒めまちたー。
大事な講演はほぼ終わっていて、どういうお話だったかほとんど覚えてないよー。
さらに、夢の中で自分の詩みたいに歌っていた上記の詩は、おいらの詩ではありませんでした。ごめんなちゃい。
この詩は、明の升庵・楊慎、字・用修の「送余学官帰羅江」(余学官の羅江に帰るを送る)という詩でちゅ。途中まで「古詩源」に出てくる晋代の古い民歌「綿州巴歌」(綿州の巴族の民謡、の意)をそのまま引き、最後の四句だけ自分の句をくっつけて見事な送別な詩にした、というもので、清の沈徳潜から「別にこれ一格なり」(これまでに無かった新しい形式を編み出した)と評される(「明詩別裁集」)。
楊升庵は四川・新都のひとであるから、「郷思の心、独り苦なり」というのは、同じ四川の同郷人である余学官が帰郷してしまい、自分ひとりが遠くこの雲南の地に残されたことをうたっているのである。
そういえば四川で地震。チュウゴク軍は全力をあげて被災者の救助・救援をしている・・・かと思ったら、カシミールでインド領に進出したり、今日も悪さをしているみたい。
さて、作者の升庵・楊慎は弘治元年(1488)の生まれ、父は大学士・楊廷和、正徳六年(1511)、「一甲第一名」すなわち「状元」(首席)で進士となったが、帝に直諫して容れられず、病に托して帰郷。嘉靖帝が即位(1522)すると講官に任ぜられたが、嘉靖三年に帝の実父を廟堂にどう祀るかの議論が起こると、楊慎はその父・廷和の意も受けて、実父を先帝と同格に扱おうという嘉靖帝とその廷臣らに激しく抗議した。ために宮中で杖刑に処せられ、仮死状態に至るも一日して蘇り、雲南に遷さる。
「明史」楊慎伝によれば、
世宗以儀礼故、悪其父子特甚。毎問慎作何状、閣臣以老病対、乃稍解。
世宗、儀礼の故を以てその父子を悪むこと特に甚だし。慎の何(いか)なる状を作すかを問うごとに、閣臣、老病を以て対し、すなわちやや解す。
世宗・嘉靖帝は(自らの治世の初期にその正統性に疑問を呈した)楊廷和と楊慎の親子を激しく憎悪しておられた。(廷和は嘉靖八年に卒したが、)雲南の配所に生き延びている慎について、帝は「やつはどうしているのか」とよく質問なさった。内閣の大臣はつねに「すでに老い、かつ病んでおります(。もう反発する元気はございません)」と申し上げ、そうするとようやく帝は怒気をやわらげるのであった。
閣僚らは楊慎の剛直を愛し、もし「なお壮心やまず」(まだまだ元気でおります)などと言おうものなら、毒殺の使者を送るのを恐れたのであるという。
その後、雲南からは戻されたが、官場に彼を容れるところはなく、風狂の逸事と小説や弾詞を含めて「著作等身」(書いたものを積み上げると背丈と等しい)といわれる厖大な著書を遺し、最後は僧形となって嘉靖三十八年(1559)寺中に卒した。