平成25年4月4日(木)  目次へ  前回に戻る

 

今日は所縁あってA大学の入学式に参列。ちょっと退屈しました。

そういえばそろそろ清明節です。今週末あたりは沖縄のひとたちは親類中で御先祖のお墓に集まって宴会するらしいが・・・。

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なのでお墓のお話しますよ。

四川・安州城の東、二十里(10キロぐらい)離れたところに、大きな墓があった。唐初に南蛮征伐で功績にあった武氏の墓であるということだが、詳しくはわからない。

五代の混乱時に、この墓を群盗があばいたことがあった。

以下、その群盗たちの供述である。

―――石室に到る道はかなり巧妙に隠されており、百人ほどの墓あばきに慣れた者たちの作業であったが

数日乃開。得金釵百余枚、各重百斤。

数日にしてすなわち開く。金釵百余枚、おのおの重さ百斤なるを得。

墓室を開くまでには数日を要した。墓室中からは黄金の髪飾り、一個あたり約60キログラムという巨大なものが百個以上発掘された。

手にした松明の光に映えてぎらぎらと耀くそれを見つけたとき、群盗たちののどからは思わず快哉がこぼれたほどである。

また、

有石座、雑宝古様腰帯、陳列甚多。

石座有りて、雑宝と古様の腰帯、陳列甚だ多し。

石の椅子があって、その上にいろんな宝物と古風な腰帯がたくさん並べられていた。

「すばらしいぜ・・・」

群盗たちはのどを鳴らしながら宝物に見入った。松明と人影が揺れ、光と陰が石の椅子の表面とその向こう側の空間をあわただしく行きかっている。

石の椅子の向こう側には石製の棺があって、そこにはこの墓の主が眠っているはずである。

数人が椅子の向こう側に回り込み、石棺の蓋に手をかけた。もちろん中に眠っている骨に興味はない。死者とともに葬られた宝物をちょうだいするためである。副葬された宝物は群盗たちの生活の資になるが、おそらく死者には何の役にも立たないのだから、これは正当な行為であろう。

こちら側では金釵を袋に詰める者と石の椅子の上の宝物を袋詰めする者に別れて作業を開始した。

「へへ、この腰帯だって立派なものだぜ」

と一人が

取其一帯、随手有水湧出。

その一帯を取るに、手に随いて水の湧き出づるあり。

そのうちの一本を取り上げた途端、その帯の下から突然水が噴き出してきた!

「うわあ」

と驚きの声が墓室の中にこだまするうちに、ほかの腰帯の下から次々と水が噴き出し、水をかぶって松明は消えてしまい、あっという間に足元が水浸しになった。

「あわわ、に、逃げた方が・・・」

「その前にお宝を・・・」

と群盗たちが暗闇の中で行動にとまどっているほんのわずかな時間のうちに、水はすさまじい勢いで増えて、

俄頃満墓。

俄頃にして墓に満つ。

あっという間に墓室は水に没してしまった。

しかも、水が出るのと同時に動きはじめる仕掛けであったのか、

所開之処、尋自閉。

開くところの処、ついで自ずから閉ず。

墓室への入口が自動的に閉まってしまったのである。

ほんとうに短い時間で起こったことであったのだ。

百人の群盗のうち、早い段階で見切りをつけた者や見張りに表にいた者、あわせて三十人ほどが助かっただけで、あとはみな水浸しの墓室の中に閉じ込められてしまったのである。

それでも黄金の髪飾りの何本かは持ち出せたから、これを貨幣に換えて山分けすれば一人づつの取り分は大きい。

群盗のうちの数名は、

「閉じ込められた者たちの叫びの声さえまだ耳に残っている。この墓は呪われているのだ、生きた人間がこれ以上この墓に関わるのはムリだぜ。おれは降りる」

と分け前の受け取りを拒否して仲間を離れたが、多くの者はある種の恐怖感を持ちながらも、髪飾りを売りに出すこととした。―――

―――さて、髪飾りにはすぐに買い手がつき、その利は莫大であったが、ために官憲の察知するところとなり、また先に仲間から離れた連中からの密告もあって、たちまち群盗たちのアジトは警吏たちによって踏み込まれた。

しかし、警吏たちはそこでは一人の群盗も捕縛する必要は無かった。

なぜなら、

群盗三十余人、同時発狂。

群盗三十余人は時を同じくして発狂す。

群盗の三十余人は同時に発狂していたのである。

そして、手に手に小刀を持って、自らの、あるいはお互いの両目を抉り、手足を切り離し、腹を裂いて内臓を取り出し、いずれも凄惨きわまりない状態となっていたのだ。そして彼らは数刻の間に、

相次皆卒。

相次いで皆卒す。

相次いで死んで行った。

からである。

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ひっひっひっひっひい。みなさんも、知らない人のお墓をあばいてはいけませんよ。五代・杜光庭「録異記」巻八より。

 

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