平成25年2月23日(土)  目次へ  前回に戻る

 

休日は大好き。来週は土曜の朝から月曜の朝までしごとらしいので、今週はゆっくりしなきゃ・・・と思いきや・・・。

・・・・・・・・・・・・・・

元和の変B。2月15日の続きです。

憲宗皇帝、帝都で宰相の暗殺事件が起こったということで、大いに驚き、また武元衡の死を哀れんで声をあげてお哭きになられた。

そして、ただちに詔を下して凶行者の行方を求めしめようとしたのだったが・・・。

帝都では次のようなことが囁かれている、ということを、わざわざ帝のお耳に入れる者があった。

無捜賊。窮必乱。

賊を捜す無かれ。窮まれば必ず乱せん。

犯人を捜索しない方がいいのではないだろうか。追い詰めると、大きな叛乱につながるかも知れぬ・・・。

また、次のような話も伝えられた。

ある金吾(近衛軍)の士官が凶行者を探そうと聞き込みを行っていたところ、彼の前に、

投書於道。

書を道に投ずるあり。

突然、道端から文書が投げ込まれた。

拾い読んでみると、

毋急我。我先殺汝。

我を急にするなかれ。我、まず汝を殺さん。

あんまりわたしを追い詰めなさるな。わたしが先におまえさんを殺めなければならなくなるから。

驚いて付近を調べたが、書を投じた者の跡形さえなかったのだった。

・・・・このような情報があったので、憲宗皇帝は事件の捜索を指示するのを迷っていたが、老臣・許孟容が入って言う、

国相横屍路隅而盗不獲、為朝廷辱。

国相の屍を路隅に横たわらしめて盗を獲ざるは、朝廷の辱と為す。

国務を執る宰相の死体が路傍に転がらされたのでございますぞ。これで凶行者がつかまらないのでは、我が朝廷の大恥でござる。

「どの面目あって先君をはじめ歴代の皇帝の前にお顔を出せますのじゃ!」

この諫言に感じて、皇帝は詔りを下し、

能得賊者賞。

よく賊を得る者は賞す。

凶行者を捕らえることができた者には、ほうびを与える。

と令された。

○ほうびの内容 → @銭千万を与える A五品官を授ける

というのである。

そして、

積銭東西市、以募告者。

銭を東西の市に積み、以て告者を募る。

長安の東市と西市に現ナマを積み上げ、これによって密告者を募集した。

断固たる姿勢をとったところ、数日ならずして、神策軍(宮中の宦官に属する軍隊)の王士則・王士平らが十八人の実行犯を捕らえることに成功した。

取り調べを進めると、その背後には・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「新唐書」巻152「武元衡伝」より。以下、また続く。

ところでなんと、明日東京からおえらがたが来るらしいのだが、それはどうでもいいが、うちのおえらがたがそのおえらがたと晩飯を食うのにわしも入れてもらえるんだということだ。しかも誰も喜ばないヤギだ。明日は名護に行っているのだがそのことを言うとまたうるさいので「はいはい」だ。わしは観光目的・物見遊山で沖縄に来ているので、そんなことをしに沖縄に来ているのではないわけです。そろそろ万座毛に靴と遺書置いて行方不明になるか。

 

表紙へ  次へ