平成25年2月20日(水)  目次へ  前回に戻る

 

とりあえず沖縄に再侵入。これからどうしていけばいいのか。わたしは不幸だなあ・・・。

いやいやそんなことはありませんぞ。

自分が決して不幸ではない、ということを確信するためには、チュウゴクの歴史書を読むに限ります。

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明末の「寇盗」と呼ばれる群雄の中でも、北京に入って崇禎帝を自死せしめ、事実上明朝を滅ぼした闖王・李自成の軍はその残虐、史上屈指のものであった・・・とかなかったとか。

その残虐の一コマ。

李自成之兵或刳人腹為馬槽、実以芻菽飼之。

李自成の兵、あるいは人腹を刳(えぐ)りて馬槽と為し、芻菽を以て実たしてこれを飼う。

李自成の軍の兵士たちは、ときにニンゲン(のおそらくは死体・・・と思うのですが・・・)を持ってきて、その腹部から内臓を取り出してくりぬいてこれを馬の飼い葉桶にし、ワラでいっぱいにして馬に食わせたのである。

これを「人腹槽」といったそうでございます。

飲馬、則牽人貫耳、流血水中。

馬に飲まするには、すなわち人を牽いて耳を貫き、血を水中に流す。

馬に水を飲ませるときには、(栄養価をあげるため)ニンゲン(これは生きたまま?)を連れてきて耳に穴を開け、そこから流れ出る血を水に混ぜて、真っ赤になったものを与えるのであった。

馬習見之、遇人則嘶鳴飲噉焉。

馬、これを習見し、人に遇えばすなわち嘶鳴して飲み噉らわんとす。

軍馬はこれに慣れて、ニンゲンを見かけると大喜びしていななき、かじりついて腹を食べ血を飲もうとするに至った。

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清・鄒漪「明季遺聞」(「元明事類鈔」所収)より。ひっひっひっひ。

漢文好きなひとはみんな残虐非道、というわけではありませんが、残虐非道の記述にはどうしてもニヤニヤしてしまうんです。そうですよね?

それにしても、わたしはこんな時代のこんな国に生まれなくてよかったなあ。・・・と幸福になってまいりました。

ただしこの記録は李自成が敗残してから、李自成を明帝国の「仇」として貶めねばならない立場の清(清は明の仇を討った正当な明の後継者なのである)になってから編集されているものですから、チュウゴクの歴史書の常として、@まったくのウソか、A超誇大宣伝だろう、とは思います。が、B少しは事実を反映している、かも知れませんので念のため。

 

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