今日は久しぶりでベタベタの沖縄ネタです。願いがかなうといいね。
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首里城東方にある標高165メートルの弁ケ岳(ベンガタケ。びんぬうたき)につきまして。
現在は公園として整備され、また「東方廻り」巡礼の重要な聖地となっておりますが、
此嶽者、琉球国冠于諸峰、号冕嶽。
この嶽は、琉球国の諸峰に冠たれば、「冕嶽」と号すなり。
この丘は、琉球国のもろもろの山峰の中のトップであるゆえ、「かんむりの御嶽」=「冕のうたき」と呼ばれるのである。
たしかに本島中南部では最高峰らしいです。
そのいただきは茂った木がむらがり生え、その枝葉は婆娑(髪の毛ぼうぼう)然として翠の鳳が翼を広げているかのようであった。
是乃神仙来賁、降遊之霊地也。
これすなわち神仙の来賁(らいふん)し、降遊するの霊地なり。
これは、まさに精霊や仙人が降って来て遊び飾る神聖なる地である。
なので、上は
尚清王さま
より、大臣・公卿・大夫、しもじもは僧侶・俗人・親分・子分・おとこ・おんな・身分のやや高いもの・低いものなど、みなみなやってきまして、
如泰山北斗、瞻之仰之。
泰山北斗の如く、これを瞻、これを仰ぐ。
まるで平地に聳える泰山、あるいは北にあって地平線に隠れることの無い北斗星のように、ひとびとはこの嶽を仰ぎ見るのである。
―――尚清王さまは第二尚氏三代目の王さまで、琉球神道を整備し国威を大いに揮うた人である。「中山世譜」(巻七)によれば明の嘉靖六年(1527)即位、三十四年(1555)薨去、寿五十九、
王英明闊達、御下有厳、為事必果、務精于治。
王、英明闊達、下を御するに厳あり、事を為すに必ず果、治に精を務む。
王は英明にして広大な志をお持ちであり、臣下を使うには厳格であられた。何かをなすときにはたいへん果断で、政治に精力を傾けたのであられる。
という。―――
さて、人民どもは弁ケ嶽を泰山北斗のように仰ぎ見、朝に夕べに厳粛にお参りし、心をこめて敬い信ずるのである。あるいは花を捧げ、お香を焚き、
曰福、曰寿、曰官、曰禄、靡願而不成、莫感而不彰矣。
曰く「福」、曰く「寿」、曰く「官」、曰く「禄」、願いて成らざる靡(な)く、感じて彰かならざる莫(な)し。
「幸福をくだされ」といい、「長生きさせてくだされ」といい、「昇進させてくだされ」といい、「儲けさせてくだされ」といい、もろもろの祈願をするのであるが、それらの願いは聞き遂げられないことはなく、こちらで祈ったことが実現しないことはないのである。
だからひとびとは切れ目もなくその地を目指して行くのである。
大嶽の神名は、玉のみうちすでるかわの御いべづかさ(玉の御内、甦でる川の御イベ司?)
小嶽の御イベの神の名は、天子(あまみこ?)
この二か所は首里大阿武志良礼(しゅり・うふあむ・しられ)さまの祀るところである。
正月・五月・九月に王がお詣りするとき、首里の三平等(みひら)大阿武志良礼(要するに高級ノロ。最高神女の聞得大君の次にエライ方々)が唱えるおたかべごと(祝詞)は以下のとおり・・・・・(以下、略。秘密にします。ひひひひ。)
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だそうなのです。「琉球国由来記」巻五より。
「願って成らざるない」のなら行かないはずはありませんよね。
なのでわしも行ってまいりましたぞ。→弁ケ岳
わしの願いはアレ。アレがいよいよかなう日が来るのかも知れませんぞ。わはは、わははは、やつらの驚き歪む顏→(?_?)が目に浮かぶわい、わはははは・・・・・
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小惑星の衝突や箱根山の噴火を願っているわけではないと思いますが・・・。