浦添におります。ちょっと寒い。
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宋の張君房は字を允方といい、宴陸のひと、官は祠部郎中に至り、年八十余にして卒した。
君房は書物をあらわすのが好きで、古今のいろんな資料を集めては、これを整理して出版したので有名である。道教の関係書籍を集めた「雲笈八箋」、当時うわさになった不思議な話を集めた「乗異記」、古今の友情について編集した「麗情記」、科挙試験に合格したひとたちの記録である「科名分定録」などなど。彼は
知杭州銭塘、多刊作大字版携帰、印行于世。
知杭州銭塘たりて、多く大字版を刊作して携帰し、世に印行せり。
杭州知事として銭塘にいたとき、これらの多数の著書を大きな字で木版に彫らせてこれを都に持ち帰り、印刷して世間に頒布した。
宋代の書物は字が大きくて出来がいいので有名である。彼の出版した書物もそういう大字の善い本だったのでしょう。
ところで、君房には、白稹(はく・しん)という科挙試験の同期合格者(「同年」といいます)がいた。
白稹は
有俊声、以文名世、蚤卒。
俊声有りて、文を以て世に名あり、蚤(はや)く卒す。
俊才といわれ、また文学を以て世間に名を知られていたが、まだ若いうちに死んでしまった。
彼は若いころ、
常軽君房為人、君房心銜之。
常に君房の人となりを軽んじ、君房は心にこれを銜(ふく)めり。
日頃から君房の人間性を軽蔑した態度を取っており、君房の方は心にふくむところがあった。
白稹が死に、いくつかの星霜を経て、君房は「乗異記」を編んだときに彼を登場させた。
―――白稹が死んだ後、その友人であった者は船で旅していたとき、夢まくらに稹が現れたのである。
稹は頬こけ墜ちた凄まじい顏で、言うた、
我死罰為亀。汝来日舟過、当見我矣。
我死にて罰として亀と為れり。汝、来日舟にて過ぎるに、まさに我を見るべし。
「わしは・・・死んで、これまでの報いとして今カメとなっている。・・・おまえは・・・、明日、舟の上からわしを見ることに・・・なる・・・であ・・・ろ・・・」
そして消えて行った。
翌日、友人が舟の上に立っていると、
見人聚視、而烏鵲噪于岸。
人の聚まりて視、烏・鵲の岸に噪(さわ)ぐを見る。
岸に人が集まって何かを囲んで見ているのが見えた。そのあたりにはカラスやカササギなど肉食の鳥たちが鳴き騒いでいる。
「なんであろうか」
倚舟問之、乃漁人網得大亀。
舟に倚りてこれに問うに、すなわち漁人の大亀を網し得たるなり。
舟ばたから「いったい何を囲んでいるのかな?」と問いかけると、岸の上の漁師が答えていうには、
「ご覧くだせえ、このでかいカメが網にかかったんでさあ」
と。
漁師が示すのを見ると、オオガメと目が合った。
「なるほど・・・」
友人はすべて了解し、
買而放之于江中。
買いてこれを江中に放つ。
カメを買い取って、これを川に放してやった。
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この「友」はどうやら張君房自身らしい作りになっている。
さて、この話、今の「乗異記」には掲載されていません。
なぜであろうか。
乗異記既行、君房一日朝退、出東華門外。
「乗異記」すでに行われ、君房一日朝退して東華門外に出づ。
「乗異記」の初版が発行された後、君房はある日朝廷のしごとを終えて、宮中から東華門の外に出てきた。
その時である―――!
「張君房! 共に天を戴かず!」
と叫びながら、
忽有少年曳君房、下馬奮撃。
忽ち少年有りて君房を曳き、馬より下して奮撃す。
突然若者が飛び出して来て、君房を馬から引きずりおろし、殴る、蹴るの暴行を加えたのであった。
冠巾毀裂、流血被体、幾至委頓。
冠・巾毀ち裂け、流血体を被い、ほとんど委頓に至る。
「委頓」は、疲乏狼狽の態である、という。ぼろぼろにされて対応のしようも無い状態をいうのであろう。
かんむりも帯も破れ裂け、体中流血まみれになったが、ほとんど気を失ってなすがままであった。
警衛の者が間に入ってようやく若者は取り押さえられたが、この若者は、
乃白稹之子也。
すなわち白稹の子なり。
なんと白稹の子であった。
彼はうしろでに取り押さえられながらも、憤怒の表情をして言う、
吾父安有是事。必死而後已。
吾が父いずくんぞこの事有らんや。必ず死して後已まん。
「わたしの父がどうして死後オオガメに変ぜられ、おまえに援けを乞うことがあろうか。わたしは死ぬまで、おまえを追い回してやる!」
しばらく騒ぎになっていたが、やがて町内の長老が前に進み出、
為釈解、且令君房毀其版。
為に釈解し、かつ君房をしてその版を毀(こぼ)たしむ。
警衛の者に若者を釈放してやるように言い、また、君房に対しては
「この若者の父上について書いた印刷版を破毀してやりなされ」
と諭したのであった。
見物の者たち、みなその言葉に賛同し、
君房哀祈如約、乃得去。
君房は約の如くせんことを哀祈し、すなわち去るを得たり。
張君房は見物人と若者に必ず約束を守ると命乞いをし、ようやくその場から逃れ去ることができたのであった。
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宋・王銍(おう・ちつ)「黙記」巻下より。
本日は旧暦の新年なので、景気よく、爆竹代わりに殴る蹴る、のお話をしてみました。おめでとうございます。
この話は、(何をしたかわからないけど)死後、オオガメにされてしまうという因果応報と、知り合いの因果応報をでっち上げて貶めていたらその息子にぶん殴られたという因果応報と、二重の因果応報小説になっていてスバラしいです。
チュウゴクもあんまり好き放題したから、そろそろ因果応報するよ。
さて。
初夢や さめても花は はなごころ 千代女
旧暦正月です。今日の夜の夢が「初夢」らしい。
ちなみに今朝方、東村のかっこいいホテルで、尖閣戦争の夢を見てしまった。「おまえの見た夢などどうでもいいわ」とお叱りも受けそうだが、まさゆめになりませぬようにここに言挙げしておくのである。