今日は建国記念の日でお休み。ああよかった。ずっと休みならもっといいのだが。
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昨日の張君房は相手の若者が武器を持っていなかったからボコボコにされるだけですみましたが、そうはいかないテロもございます。
唐の元和十年(815)のことである。このとき、朝廷においては宰相の武元衡、裴度を中心に、節度使・呉元済の討伐が議されていたが、廷臣の王承宗は呉の罪を赦さんことを請うた。
そこで中書省においてその意見を徴したのだが、
頗不恭、元衡叱去。
すこぶる恭ならず、元衡叱去す。
脅し文句のようなことばかり言うので、激情家の元衡は「退がれ!」と怒鳴りつけて、追い出してしまったのであった。
いまだいくばくもなくして、元衡が、早朝、官舎のある靖安里から朝廷に出勤しようとしたときのことである。
唐朝の「朝廷」は、早朝いまだあかつきのうちから始まるならわしで、元衡の出勤は
夜漏未尽。
夜漏いまだ尽きず。
夜間の時鐘がまだ終わらない――夜の時間帯である
うちに家を出るのが常であった。
この日も暗闇の中、先触れの松明の灯りを先頭に元衡が屋敷を出たところで、
乗暗呼曰滅燭。
暗に乗じて呼びて曰く、「燭を滅せよ」と。
暗闇の中から、なにものかの「灯りを消せ!」という叫びが聞こえた。
その声の終わらぬうちに、先触れが「あ」と短く呻き、灯火が消えた。
「何者か!」
と武元衡の怒鳴りつける声がしたが、それを遮るように闇の中から、ひょう、ひょう、と矢の飛ぶ音が次々に聞こえ、さらに喚声を上げて賊が襲いかかってきたのだ。
射元衡中肩、又撃其左股。徒御格闘、不勝、皆駭走。
元衡を射て肩に中し、またその左股を撃つ。徒御格闘するも勝たず、みな駭走す。
矢は元衡の肩に当たった。ついで左の足を斬られた。そこからは乱戦となり、随従の者たちはほとんど素手で戦ったが敵わず、逃げ出した。
逃げ出した人数の中には、宰相・武元衡そのひとは無かった。
灯火を取り戻した随従たちが邏卒を率いて戻ってくると、すでに賊徒の影はなく、道路には首の無い元衡のからだばかりが捨てられていたのである。
盗殺宰相、髗骨持去。
盗、宰相を殺せり、髗骨持ち去れり。
「賊が宰相を殺した! 頭蓋骨を持って行った!」
警邏の卒らの噪ぎ呼ぶ声が夜明けの街に響き渡り、
連十余里、達朝堂。未知主名。
十余里に連なり、朝堂に達するも、いまだ主名を知らず。
5〜6キロにわたって聴かれ、その声は宮中の皇帝が渡御する朝堂にまで聞こえたが、そのときはまだ宰相のうち誰のことなのかわからなかった。
しばらくして、将軍の馬逸が参上し、ようやく事件のことが皇帝の耳にも達したのであった。
・・・同じころ、もう一人の宰相・裴度も通化里にある自邸を出たところで賊に襲われていた―――
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続きは明日(以降)。手際いいですね。「新唐書」巻152「武元衡伝」より。