チーナの方には二月開戦説があるらしいですね。そろそろキナ臭くなってまいりました。
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さてさて、そのチュウゴクのことでございます。
時は明の弘治年間(1488〜1505)、北京のある胡同(ふーとん。以下、「横丁」と訳します)には美味い水(「甜水」)で有名な井戸がありました。
この横丁のやつらを憎む人があって、何かいやがらせをしようと考えて、人の依頼を受けて悪も行う黒道士に相談した。
「ふふふ、長く苦しみを与えたい、というのでございますな。ならば・・・」
ところで、隣の横丁にも井戸があって、こちらは水が塩からい(「苦水」)のでいやがられていた。道士は、狙う横丁の甜水井の水を、苦水にしてしまうことを提案したのであった。
正月旦日清晨、有術人汲其水往甜水中、易水。而来向井呪詛而下之。
正月旦日の清晨、術人その水を汲む有りて甜水中に往きて水を易(か)う。しかして来たりて井に向かいて呪詛してこれを下す。
一月一日のまだ日の昇らぬ朝まだき、道士は「苦水井」から水を汲み、「甜水井」に行ってそこに苦水を流し、かわりに甜水を汲んで、また「苦水井」に戻ると、井戸に向かって呪詛のことばを唱えてから、汲んできた水を流し込んだ。
「ふふふ、これでカンペキじゃ」
にやにやして引き上げて行ったのであった。
―――その日の日が昇り、ひとびとが「苦水井」のまわりで騒いでいるところへ道士はまた姿を現した。ただ、朝と違って顔面蒼白である。
「退け!」
とひとびとを掻き分けて井戸の側まで行き、その井戸の水を汲んで一口くちに含んだ。
・・・・・・う、うまい!
此井遂変為甜水。
この井、ついに変じて甜水と為れり。
こちらの苦水の方の井戸の水が、いまや変じて美味い水となっていた。
「うわー、やっぱり逆に水を取ってしまっていたー」
と天を仰いで嘆じると、水の味が変わって大喜びしているひとびとを押しのけてどこかに消えて行った。
もともと呪いをかけられることになっていた甜水井の方の水の味はそのままだったのだそうである。
ああ、この道士はおそろしい術を持ち、その術の行使に成功しながら、その術は災いをもたらすことができなかった。やはり災いをもたらすのは術ではなく人なのであろう。
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明・朗瑛「七修類稿」巻四十九より。
なので、悪いのは兵器やレーダーであって解放軍ではない・・・のかな?