今日もあちかった。立春だから当然ですね。これからはどんどん暑くなるのかな。
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コドモの好きなコビトちゃん。
わたし(←肝冷斎にあらず、愛知・三河のひと菅江真澄なり)は海辺のアイヌの集落で、
少児(ちいさご)のいはれありけるよしをとふ。
「こびとちゃんの伝説があると聞くが・・・」と質問した。
すると、乎佐女(こさめ)という老女が答えてくれた。
―――ふるきむかしがたりに、この磯山の土採りにとて、ちいさき船にみさかばかりのおのこ、あまたたりのりたる船寄来る。
むかしむかしのこと、というのでございますが、ほれ、この先の磯の小山、あすこから土を盗み取りに、小さな船に背の丈三尺ばかり(1メートル)の男の子たちがたくさん乗った船がやってきたそうなのでございます。
―――此浦人見おどろき、いかなるものかとたちさはぎ、小舟のゆかんかたはいづこならんと、それらが船の楫(かぢ)あとをしるべに、ふねあまたしてこぎ行ほどに、うななかのある潮にへだてられて、そのちいさごが船をふ末は何かたともしられず。
この集落の者ども、これを見て驚き、「いったいなにものだ?」とわいわい騷ばかり、ついにその小さな船が引き上げて行くあとをつけて、どこに行くのか確かめようとして、船のかじあと(航跡)を導きとしてたくさんの船が漕ぎ出たものでございました。
しかしながら、海中にあります潮流にせき止められて、こびとちゃんたちの船の行く末は確かめることができなかったというのでございます。
―――かいけつやうに、浪としほとにまぎれうせたりし。
こびとちゃんたちの船は、かき消すように、波と潮のかなたに紛れ失せてしまったのです。
と、聞き伝えておりまする。―――
「なるほどのう・・・」
と、近世最大級の民俗学者・菅江真澄先生は「蝦夷喧辞弁」(えみしのさえき)に書きのこしておられます。(1789年の著である)
この「ちいさご」こそ、その約二十年後に志鎌万輔が「コロボルグルカモイ」(「東海参譚」)、最上徳内が「コロブクングル」(「渡島筆記」)と記録したこびとちゃん、すなわち、「フキの葉の下に棲む人(精霊)」=コロポックルちゃんなのでちゅー!
想像上のセイブツとされていたコロポックルちゃん、最近では早くに(といっても十五世紀ごろ)北海道を離れた千島アイヌのことを本島にのこったアイヌが伝承したものではないか、とのコロポックル実在説というべきものが唱えられているのだそうです。(瀬川拓郎「コロポックルとはだれか」新典社新書(2012刊))
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大人の濁った眼では見つからなくても、コドモには見えていまちた。やっぱりいたのでちゅね。明日はチュウゴクのこびとちゃんを紹介ちまーちゅ。