平成25年2月3日(日)  目次へ  前回に戻る

 

今日はあちかったね。明日は立春?

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おいらはコドモ。肝冷童子でちゅ。童謡を歌いまちゅう。

蹔出白門前、  しばらく白門の前に出づれば、

楊柳可蔵烏。  楊柳は烏を蔵すべし。

勧作沈水香、  勧(かん)は沈水の香と作(な)り、

儂作博山爐。  儂(のん)は博山の炉と作(な)らん。

 ちょいと(楊州城の)白門の外に出てみれば、

 ぐるりと色づく楊と柳、これならカラスも隠せそう。(相手を隠さねばならぬ不倫の恋を暗示する。)

 あんたは(高価な)沈水(じんすい)のお香になってくださいな、

 あたいは(貴重な)博山製の香炉になって、あんたを燃やし尽くすから。  ・・・・・・・ @

「勧」は愛する男性を呼ぶ二人称、「儂」は一人称(男女とも使うという)で、いずれも六朝期の江南方言なのだという。

この歌、「童謡」※といいつつとてもエロチックな含意のある歌である。なぜなら・・・

近代日本で発明された「子ども用の歌」の意の和製漢語ではありません。古代以来、思考能力のない童子たち(成人下僕を含む)が意味もわからず歌う有力者批判の歌のことで、童子たちの無意識下から湧き出る「天」(すなわち社会の総意)の声であると理解された。詳しくは「地仙ちゃんシリーズ」(散逸分か?)を参照。

と考証しつつ歌っておりましたら、突然背後から張りのある女声で、

「これ、肝冷ちゃん」

と声をかけられた。

その声のこころよき。天上より玻璃のタマの落ち来たれるかと疑うほど。

「懐かしいねえ、それは「楊叛児」のうたではないか」

「そのヨウハンジでちゅよ。韓蛾ねえたまー」

最近この楊州の町で歌っている、大有名歌姫の韓蛾さまだ。のびやかなブレス、美しく何物にも妨げられないまっすぐな節どり、そして深い人生の悲しみを優しく包み込む声。おいらは大ファンなの。

「肝冷はいい歌知っているねー、ちょっと音痴だけど」

「えへへ」

大ちゅきな韓蛾ねえたまに褒めてもらいまちたー。にこにこ。

「ところで肝冷、この歌、別に叛乱の詩でも何でもないのになぜ「楊叛児」というか知っている?」

「あい!」

とおいらは明るく答えまちた。

「旧唐書」巻29「音楽志二」に曰く、

楊叛児本童謡歌也。斉隆昌時、女巫之子曰楊旻、旻随母入内及長為后所寵。童謡云、楊婆児共戯来。而歌語訛遂成楊叛児。

「楊叛児」はもと童謡歌なり。斉の隆昌の時、女巫の子、楊旻と曰うに、旻、母に随いて内に入り、長ずるに及びて后の寵するところと為る。童謡に云う、「楊婆の児、ともに戯れ来たれり」と。而して歌語訛してついに「楊叛児」と成す。

「楊叛児」(ようはんじ)という楽府はもともと「童謡」(↑の※参照)の歌であった。

六朝・斉の隆昌年間(494の一年だけの元号。鬱林王の時代である)の事件であるが、民間の女性シャーマンで楊某というのがおり、これが後宮に呼ばれて女官たちの注問や相談などに対応していたのであるが、その子・楊旻という者(もちろん男の子である)もその母親に随って後宮に入り込んでいた。この子が少年となって、あろうこか太后さまの愛人となっていたので、これを謗る「童謡」が流行ったのである。

この歌の意は「楊おばさんのお子さまが、一緒にやってきていろいろふざけあう」という内容だったのであるが、長年うたいつがれているうちに「楊婆の児」が「楊伴の児」さらに「楊叛児」と変化してしまったのである。

「・・・・ということでちゅよねーーー!」

「あはは、肝冷は童子のくせにそういうことよく知っているねー」

韓蛾ねえたまは、おいらの頭を撫で撫で。う〜ん、柔らかくてうっとり〜。

それからねえたまは琵琶の弦を整えると、少し遠くを―――そう、むかしを見るをような目をして、一曲を歌いだした。

君歌楊叛児、  君は歌う「楊叛児」、

妾勧新豊酒。  妾は勧む新豊の酒。

何許最関人、  いずれの許(ところ)か最も人に関す、

烏啼白門柳。  烏は啼く、白門の柳。  (ここで曲調が変わる)

烏啼隠楊花、  烏は啼いて楊花に隠れ、

君酔留妾家。  君は酔いて妾が家に留まる。   (再度変わる)

博山爐中沈香火、  博山爐中の沈香火、

雙煙一気凌紫霞。  雙煙一気として紫霞を凌ぐ。

あんたは歌う「楊叛児」の歌、

あたいは勧める(唐のころ銘酒といわれた)新豊で醸したお酒を。

だけどいちばん気にかかるのは、

白門の外の柳にカラスが鳴いて、朝が来るのを告げること。 (「三千世界の・・・」のノリです。)

カラスが楊の花かげに隠れてくれたから、

あんたは今日も酔ってあたいの家(娼家である)に泊まってくれる。

 博山製の立派な香炉(これはあたい)に沈水の高価なお香(これはあんた)をくべて

 ふたながれの煙がゆらゆら一つに融け合えれば、仙人たちの暮らすところよりももっと高いところまで昇っていける。  ・・・A

上記@の歌を見事に翻案した一篇でちゅね。批判(例えば明の楊升庵)もあるが、@の「スキャンダル批判の歌」が完全に「男と女の情歌」になりました。そしてさらにエロチック〜。おいらはにやにやしながら美しい韓蛾ねえたまの横顔を見ていた。そこから白いうなじ、そして豊かな胸元を・・・ひっひっひ〜。ちなみに、六朝期の@では一人称=「儂」、二人称=「勧」でしたが、長安方言を使ってであろうAでは一人称=「妾」、二人称=「君」が使われている。そしてこれが時代の好尚というものでもあろう。

・・・歌い終わると、

「これは李白っていう人の詩なんだけどさ・・・」

ねえたま、少し目線を落とし、それからくすりと笑って、

「それにしてもこの歌を教えてくれたあン人は、いまどうしてるのかねえ・・・、って、肝冷に訊いたってわかんないよねー」

とおっしゃったのでちた。

・・・・・・・ねえたま。

おいら、ねえたまに愛されることはもうありえないだろうけど、せめてねえたまの歌に慰められ、そしてねえたまを少しだけでも慰めてあげたいの・・・。

韓蛾ねえたまはまた弦の調べを整えて、

「夜の宴席までまだ時間があるから・・・、肝冷、もう一曲、次は明るくなれるような歌、歌おうか」

「あい! 聞かせてくだちゃい、おねえたま」

その歌に曰く、

截玉作手鉤、  玉を截(き)りて手鉤と作せば、

七宝光平天。  七宝平天に光れり。

繡沓織成帯、  沓を繡(ぬいと)り織りて帯を成し、

厳帳信可憐。  厳帳まことに憐れむべし。

玉を切り削り腕輪を作れば、

飾りの七つの宝石が、空一面に光を放つ。

おくつに刺繍、帯をきれいに織りましょう、

そしてきれいなカーテン附きベッド。 ・・・ああ、すてき!

女の嫁入りの詩なのかな。「古楽府」より「楊叛児」。@の替え歌です。

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しばらくコドモのふりしていようかな。楽チンだし。

 

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