平成25年1月17日(木)  目次へ  前回に戻る

 

本日の担当は、匿名斎老人でござる。飲み会で酔ったー。酔ったけど、今日はどうしても言いたいことがあるから更新するよー。

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安南(ベトナム北部)の地に「玉龍膏」なる練り薬あり。加熱すると

能化銀液。

よく銀液と化す。

銀色の液体に変化するという不思議な薬品であった。

もとより秘せられて滅多に見られるものではなかったが、さらに安南の巫覡ら、いにしえより伝え言う、

此膏不可持北来。苟有犯者、則禍且及矣。

この膏、持して北来すべからず。いやしくも犯す者あらば、すなわち禍いまさに及ばんとす、と。

その薬品を北の方、チュウゴクに持って行ってはならない。もしこの禁忌を犯す者があれば、すぐさま恐ろしい呪(のろ)いが発動するであろう、と。

ところが、唐・文宗の大和年間(827〜834)、剛直を以て鳴った都護(総督)の韓約が、どのようにしてかこの秘薬を手に入れ、チュウゴクに戻るときにひそかにその荷物の中に入れた。

そのことがどこから洩れたのか。韓約の帰国する隊列の前には、ひっきりなしに巫覡たちが現れ、

公持去、無有悔於後耶。

公持去せんとす、後に悔いあること無からんや。

「あなたさまは持ち帰ろうとなさる(、それを)。後々、このことを後悔なさることがありましょうぞ」

と呪言のように唱えたのであったが、

約不聴。

約、聴かず。

相手にするような韓約ではなかった。

韓約は帰朝後すぐに執金吾(皇宮警備長官)に抜擢され、一時たいへん得意であったが、その年の暮れに鄭注の乱が起こると韓約はこれに内応していたと疑われて、

竟赤其族。

ついにその族を赤せらる。

一族みな誅殺されてしまったのであった。

しばらくして冤罪であることがわかったが、事情を知る者たちは

豈玉龍膏之禍所帰乎。

あに玉龍膏の禍いの帰するところならんや。

「例の玉龍膏の呪いの結果、ということはさすがに無いだろうけどねえ・・・」

とささやきあったということである。

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唐・張讀「宣室志」巻六より。「呪い」はコワいでちゅねー。

さて、今日は匿名斎です。ほんとにハラが立ったので、匿名性に隠れて言うよー。

・・・チュウゴクでまたまた日本の国益を売りとばしたという元総理の○山さん。もはや常軌を逸してまいりました。思うに、○山◎紀夫は我が日本国にかけられた「呪い」なのではないか。こんな魔物を選挙で選びだしたこの国の民に、いつまでも効果を及ぼすドス黒い「呪い」なのだ。脱税・偽証・売国・・・ここまでやってもこの国のエスタブリッシュメントたちがこの「呪い」を除去しようとしないのなら、いずれ草莽より志あるものが現れて、除去することになるのであろう。(←もちろん比喩的な意味で♡)

 

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