ハッピーマンデー! で成人の日でしたね。休みでよかった。明日も休めるといいのになあ・・・。
今日は早く寝ないといけないのですが、何も読まないで寝ると漢文の読み方忘れるので、とりあえず今日も読んでおくか、というレベルのこと訳して寝ます。
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呉穀山先生の手紙の中から。これは長安の学校に学官として赴任していたときのものらしい。
―――張船山くんへ。
ぼくは今、長安の学校で教えているが、
園中荷花、已大開矣。閙紅堆裏、不少游魚之戯。
園中の荷花、すでに大いに開けり。紅堆の裏(うち)に閙して、游魚の戯も少なからず。
こちらの学園の池のハスの花は、もう大々的に咲いているよ。紅色のかたまりのような花の下で、うるさいほどに泳いでいる魚たちのたわむれも盛り上がっている。
ただし、花よりも葉っぱの方が多いからね。魚たちはその葉っぱの陰だから、東西南北がどちらかはわかるまい。
倘能来、当雪藕糸、剥蓮蓬、儘有越中女児酒、可以供君一酔。
もしよく来たらば、まさに藕糸を雪(そそ)ぎ、蓮蓬を剥き、越中の女児酒のあるがままに、以て君に一酔を供うべし。
この季節の間に君が来てくれたなら、細い大根を洗い、蓮の根を剥いて、越国産の「女児酒」をあるだけ出して、君に一夜の酔を提供しようと思うのだけど。
「女児酒」は呉穀山の出身地・呉中の特産とされ、女の子が生まれると醸す酒である。甕に入れて地中に埋め、ちょうどその子が結婚するときに掘り出してよく熟するのを飲むという。いわゆる紹興酒である。
以上、「簡張船山」(張船山あて書簡)
・・・・・・・・・・・・・・と言っておりましたところ、
―――査小山くんへ。
どうも困ったことになってしまった。
船山奉母北行、聞即日可至長安。
船山母を奉じて北行し、聞くならく即日長安に至るべし、と。
張船山が四川から母上とともに北に上り、まもなくこの長安に着く、ということであった。
ところが、
此間警報日至。
この間、警報日に至る。
この間から、四川から長安に出る「蜀道」には賊が出没するという警報が何度も出されているのだ。
未識風塵内、可無歌蜀道難否。
いまだ識らず風塵の内、「蜀道難」を歌う無かるべきや否や。
風塵乱舞する中、古い歌謡である「蜀道はつらい」を歌っているのではないだろうか。
はやく無事到着してわれわれに安心させてもらいたいものだ。
以上、「寄査小山」(査小山に寄せる書)
・・・・・・・・・・・・・・・・張船山はどうなってしまったのであろうか。
・・・・・張船山くんはその後出世して司法官になったそうです。
だいぶんあと、呉穀山が帰郷した後の手紙で
不得手書、又載余矣。巍巍嶽嶽一角獣、竟飛上冠来。但当言則言、不可言則不必言。獬豸原有閉口時。
手書を得ざること、また載余なり。巍々嶽々たる一角獣、ついに飛上して冠に来たる。ただし言うべきはすなわち言い、言うべからざるはすなわち必ずしも言わざれ。獬豸(かいち)もとより閉口の時有らん。
「獬豸」(かいち)は一角の獣。罪ある者を憎み、触れようとしないといい、このためいにしえより司法官は、一本の角を象った「獬豸冠」というものをかぶるのがならわしである。
きみから手紙が来なくなってからもう一年以上になる。この間に、大きく威厳ある一角獣が飛んで来てきみの冠の上にまたがってしまったようだね。(貴族な高官の罪も暴かねばならない重要なしごとだが)発言すべきときには発言しなければならないが、発言してはいけないときにまで発言しないようにしたまえ。きみの発言は大きな影響を与えるのだから。一角獣には、口を閉ざしているときもあると聞く。
と言ってるので、無事だったようです。よかった。
以上、「寄張船山」(張船山に寄せる書)より。
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以上、全部「清儒尺牘」巻上より。呉穀山先生は心配性ですが、また食べ物の話の多い人でもありますね。