平成24年12月16日(日)  目次へ  前回に戻る

 

明日月曜日だおーわおー

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明の正徳十四年(1519)の冬、年も押し詰まったころのことでございます。

突然、政府よりお達しがあった。

禁養猪。違者永戌。

猪(ちょ)を養うを禁ず。違う者は永く戌とす。

ブタの飼育を禁止するというのである。違反者は終身辺境に送られて守備兵とされるのだ。

表向きは

信仏法也。

仏法を信ずるなり。

殺生を禁ずる仏法の教えに沿うたのである。

とされたが、しもじもは嗤った。

「どういうことじゃ?」「おそらくは・・・」

以俗呼豕為猪。音同国姓。

俗に豕(いのこ)を呼びて猪となす。音は国姓と同じ。

一般にブタのことを「猪」(ちょ)というが、この「猪」(ちょ)は畏れ多くも皇帝家の姓「朱」(シュ)とよく似ておるではないか。

そこで、人民たちが「ちょ」と言ってブタをバカにするのが耐えられない、ということではないだろうか。

少なくとも人民どもはそうだと信じたようである。

さて、ちょうど年の終わりだったこともあり、それから

旬日之間、遠近尽殺、減価賤售、小猪埋棄。

旬日の間、遠近ことごとく殺し、価を減じ、售るを賤しみ、小猪は埋め棄つ。

十日ほどの間に、都の周辺ではブタがことごとく屠殺された。このため、ブタ肉の値段は下がって売り買いさえされなくなり、コブタに至っては邪魔にされ、殺して地中に埋められてしまった。

人民たちは

「チュは殺し尽くした」

「チュには値もつかない」

「チュをどぶの中に棄てた」

など、わざわざ「猪」を「朱」に近い発音で表してにやにやしておりましたという。

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「元明事類鈔」巻三十八より。百五十年以上後に発せられた本朝の「生類憐みの令」が如何に立派な法令であったか、御理解いただけましょう。それにしても、人民どもの抵抗はけしからんなあ。

衆議院総選挙? 選挙は行きましたが、結果はテレビ無いんでわかりません。

 

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