明日月曜日だおーわおー
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明の正徳十四年(1519)の冬、年も押し詰まったころのことでございます。
突然、政府よりお達しがあった。
禁養猪。違者永戌。
猪(ちょ)を養うを禁ず。違う者は永く戌とす。
ブタの飼育を禁止するというのである。違反者は終身辺境に送られて守備兵とされるのだ。
表向きは
信仏法也。
仏法を信ずるなり。
殺生を禁ずる仏法の教えに沿うたのである。
とされたが、しもじもは嗤った。
「どういうことじゃ?」「おそらくは・・・」
以俗呼豕為猪。音同国姓。
俗に豕(いのこ)を呼びて猪となす。音は国姓と同じ。
一般にブタのことを「猪」(ちょ)というが、この「猪」(ちょ)は畏れ多くも皇帝家の姓「朱」(シュ)とよく似ておるではないか。
そこで、人民たちが「ちょ」と言ってブタをバカにするのが耐えられない、ということではないだろうか。
少なくとも人民どもはそうだと信じたようである。
さて、ちょうど年の終わりだったこともあり、それから
旬日之間、遠近尽殺、減価賤售、小猪埋棄。
旬日の間、遠近ことごとく殺し、価を減じ、售るを賤しみ、小猪は埋め棄つ。
十日ほどの間に、都の周辺ではブタがことごとく屠殺された。このため、ブタ肉の値段は下がって売り買いさえされなくなり、コブタに至っては邪魔にされ、殺して地中に埋められてしまった。
人民たちは
「チュは殺し尽くした」
「チュには値もつかない」
「チュをどぶの中に棄てた」
など、わざわざ「猪」を「朱」に近い発音で表してにやにやしておりましたという。
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「元明事類鈔」巻三十八より。百五十年以上後に発せられた本朝の「生類憐みの令」が如何に立派な法令であったか、御理解いただけましょう。それにしても、人民どもの抵抗はけしからんなあ。
衆議院総選挙? 選挙は行きましたが、結果はテレビ無いんでわかりません。