平成24年12月2日(日)  目次へ  前回に戻る

 

いつも暗く辛い話ばかりしておりますので、今日は明るいお話。

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余嘗画柳、贈西湖張女郎。

余かつて柳を画き、西湖の張女郎に贈る。

わし(←肝冷斎にあらず、明の李流芳さんである)は、以前、柳の画をかいて、西湖の遊郭の看板であった張女郎さんに贈ったことがある。

この画には「七絶」を書いて、題(何が書いてあるかを示す文)とした。

曰く、

断橋堤外柳如糸、  断橋堤外 柳は糸の如く、

愁殺春風煙雨時。  愁殺す 春風煙雨の時。

見説美人能愛書、  見るならく美人のよく書を愛し、

的応将此鬭腰肢。  的応なり、此れを将(もち)いて腰肢と鬭(たたか)わん。

西湖の断橋のあたり、堤の柳の枝も春めき、糸のようにゆらゆら。

春の風吹き春の雨降るとき、思うこころが死にそうじゃ。

あなたは聞いていたとおり、書物を愛する美しいひと、

ちょうどよい、この柳の枝を武器にして、あなたのか細い腰や手足と争おう。

・・・この画を女郎どのが気に入ってくれましてなあ。(←画を気に入ってくれただけで、気位高い西湖女郎から李先生が男性としてモテたかは不明。)

女郎珍重此画、数持以示人。

女郎、この画を珍重し、しばしば持して以て人に示す。

女郎どの、この画を大切にして、お得意さまがたにしばしば自慢してお見せになったのだ。

このため、

湖上之人、無不知余能画柳者。

湖上の人、余のよく柳を画くを知らざる者無し。

西湖あたりで遊ぶひとで、わしが柳の画が得意なのを知らない人はいなくなった。

いろんな人が、わたしに柳の画を注文しにくるようになったのです。

一日、法相寺小師乞余画。

一日、法相寺の小師、余に画を乞う。

ある日、西湖の法相寺の若手が、わしに「画を描いてくだされ」と依頼しに来た。

相手は僧侶である。

「わしが柳の画を得意にすることをどこでお知りになられましたかな?」

と訊いてみると、小師はにやにや笑いまして、「すばらしいところで知りました」と言うのである。

それ以上訊くのもヤボなので、張女郎に贈った詩と同じ韻を使い、

西湖煙柳断腸糸、  西湖の煙柳 断腸の糸、

只合将来鬭翠眉。  ただまさに将ち来たって翠眉と鬭わん。

料得禅心応不染、  料(はか)り得たり、禅心はまさに染まざるべきも、

也教和墨写風枝。  また墨を和して風枝を写さしむ。

西湖のかすむ柳の枝は、はらわたまで断ち切るような悩ましの糸。

とにかくそれを持って来て、誰かさんのみどりの眉を争わせよう。

確かだと思うのだが、禅師の心は(動かされたけれど柳や眉墨の)緑色には染まらずに、

黒い墨だけで風に揺れる枝の画を描かせたい、と思ったのでしょう。

と題して、色をつけずに墨だけのモノトーンの画を描いてさしあげた。

しばらくすると、今度は霊隠寺の蘧沙弥という僧侶がやってきて、

「さすがに来れなんだのじゃが、この間法相寺の若いのが描いてもろうたと聞いてのう・・・」

と、今度は扇を差し出したのである。扇の造りなどを見ると、

可以見其癖好。

以てその癖好を見るべし。

どうやら相当の風流人であるらしい。

そこで扇面に柳を画き、題して

愛柳終何意、  柳を愛するはついに何の意ぞ、

秋風君始知。  秋風、君始めて知らん。

青青雖画得、  青青は画がき得といえども、

不是動揺時。  これ動揺の時ならず。

 柳を愛するのはどういうわけなのでしょうかな。

 (この扇であおいで)秋風(のように凉しい風)が起これば、はじめてあなたにもわかるでしょう。

 青々とした春の姿は画けるけれど、

 そのときはまだゆらゆらと揺れる時節では無い。(春にはまだ扇は使われない)

と書き、老僧が張女郎に言いよるのはおかしいのではないかと暗に批判してやったのだが、わかってもらえたであろうか。

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明・李流芳「題画」二二十品」より。平和が続くと坊主も女郎も文化を愛するのですなあ。

ちなみに李流芳は萬暦丙午(1606)から天啓壬戌(1622)までの科挙試験を受けたが受からず、ついに官を得て世に出ることを諦めて学問と詩作に耽り、最後は喀血して死んだ、というひと。

 

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