平成24年11月28日(水)  目次へ  前回に戻る

 

東京は寒いそうですね。ゴン蔵からの連絡によると、この秋(←テレビの言い方。すでに立冬は過ぎているわけだが)一番の冷え込みだったとのこと。おいらがぬくぬく暮らしている間に世の中寒くなっていくのですなあ。わははは。

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さて。

新聞・TVが無いのでわかりませんが、世の中は総選挙の話題などやっているんでしょうか。権力を荷うのはたいへんなことらしいので、立候補される方はしっかりやっていただきたいものですね。わははは。

これは清の時代のお話ですが、ある科挙試験の「甲科」合格者、といいますから大秀才で、これからどんどん出世していくであろう人が、蓮池禅師というぼうずに問うたという。

世間何等人最為造孽。

世間何等の人か、最も造孽を爲さん。

―――この世の中、どんなひとがもっとも間違ったことをしてしまうものなのでしょうかなあ。

禅師ぎろりと睨み、曰く、

公輩七篇頭、老先生為最。

公輩の七篇頭、老先生を最と為す。

―――おまえたちのような七種の本でできた頭の、年も重ねた大先生が「もっとも」じゃ!

「七篇」というのは「七経」のこと、「七経」とは儒教の経典で科挙の出題範囲となる七種類の書物をいう。時代によって、また論者によって変遷がありますが、一般的には@易経A詩経B書経C礼(儀礼・周礼・礼記)D春秋(左氏伝・公羊伝・穀梁伝)E論語F孝経

である。「七篇頭」はこの「七経」でいっぱいになった儒者・科挙試験の受験者を罵倒したのである。

秀才、愕然としながら答えた、

自揣生平、未必至此。

自ら生平を揣(はか)るに、いまだ必ずしもここに至らざらん。

―――じ、自分で振り返ってみますに、そこまでひどいということは無い・・・無いように思います!

禅師、くわっーーーー!と大声して、曰く、

誰説、爾自做来。

誰か説く、爾みずから做(な)し来たるなり。

―――誰がそんなことを言ったか! おまえが自分で言いだしたことではないか!

秀才、面食らって答うるあたわず。

禅師、一偈(教えを詩の形にしたもの)を示した。

公卿多出七篇頭、  公卿多く出づ七篇頭、

孽重難推不自由。  孽重く推し難く自由ならず。

倚勢作威都坐爾、  勢に倚りて威を作(な)すはすべて爾に坐(あ)り、

上天降罰更誰尤。  上天罰を降してさらに誰をか尤(とが)めん。

 おえらがたはたいてい七経の詰まった頭のやつから出るものじゃ。

 こいつらは罪が重すぎておしのけようとしてもうまくはいくまい。

 権勢に寄りかかり権力を振るうのは何もかもおまえが自分で選んだことだ、

 お天道さまが罰をくだすとき、いったいほかの誰を咎めるだろうか。

禅師のおことば、まことにもっともである、とわし(←肝冷斎にあらず、清の金埴さんなり)は思う。

一分権勢、一分造孽、非必自造也、代之者衆矣。

一分の権勢あれば一分の孽を造る、必ずしも自造せざるも、これに代わるもの衆(おお)し。

少しの権勢・権力があれば、その分だけ罪を犯しているものなのだ。たとえ自分で積極的に罪を犯さなくても、かわりに罪を作ってくれる者はたくさんいる。

九世紀、唐の晋国公・裴度は貞元(785〜804)の進士、魏博の将士を治め、淮蔡の乱を平定し、さらに群臣を抑えて文宗を即位(826)させ、唐の国祚を守った名臣である。中央にあっては宰相たる中書侍郎・平章事として国難に当たり、その働きを嫉む者たちによって三度地方に逐いやられたが、その都度、節度使として国防のことに功績を挙げ、「出入将相」(地方では将軍、中央では大臣を務める)の能を謳われた。東都留守(洛陽総督)に遷されてからは経世の意を絶ち、白楽天や劉禹錫と詩酒の間に交わった文人でもあり、生涯、清廉を以て称されたひとである。

ところが、その裴晋公があるとき、苦笑しながら、

「最近、とある州の知事から贈り物と称して、美しい女性を届けてきた。この女に問いただしてみるに、人の妻であったが、州知事に強制されて中央の高官への贈り物にされたのだという。現地に問い合わせてみるとそのとおりであったので、早速女を夫のもとに送り返し、州知事の解任の手続きをした。・・・この知事は、いったいわしをどういうニンゲンだと思って女を贈ってきたのであろうか」

と嘆いたということだ。

嗟乎。如裴晋公之人品、而郡牧猶有奪人妻以奉之者、況他人耶。

嗟乎(ああ)。裴晋公の人品の如くして、しかも郡牧なお人の妻を奪いて以てこれに奉ずる者あり、いわんや他人をや。

いや、まったく。裴晋公ほどの人格・品性の持ち主であっても、それでも知事は他人の妻を奪って贈り物として献上してくるのである。裴晋公レベルで無いひとにはどんなものが贈られてきているのだろうか。

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清・金埴「不下帯編」巻一より。おいらもそんなの贈られたらノシつけて送り返しますよ。別の物(アレとか例のモノとか)なら受け取るかも知れませんけどね。とりあえず依田学海先生の「譚海」「談藪」(もちろん抄じゃないやつ)欲しい。「明治二百五十家絶句」も欲しい。ああ、アレもコレも欲しいよ〜。

 

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