平成24年10月23日(火)  目次へ  前回に戻る

 

やっと火曜日・・・。

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沖縄県中城村津覇―――かつての仲城郡津波邑でのできことでございます。

同邑の国吉なる者の妻はこの年四十三歳であったが、冬の初め(十月)ごろから

胸悶症

を訴えていた。胸がもやもやする、というのでございます。

医師に薬を調合させて服していたのでございますが、十二月の三日のこと、

夜候人皆睡去逃去于外而不知其所去。

夜、人のみな睡去せるを候いて外に逃げ去り、その去るところを知らず。

夜中、家人らみな眠り込んでいる時間を見計らって屋外に脱け出し、どこに行ったかわからなくなった。

「御病気のおくさまがいなくなった!」

親族大驚往到四境而探問之、無有踪跡。

親族大いに驚き、往きて四境に到りてこれを探問するも、踪跡ある無し。

家人ら大いに驚いて、手分けして行けるところまで行ってその行方を探って回ったが、どこにもあとかたも無かった。

さて、その翌年の正月五日のことであった、と申しますが、

有人耕耘田畝、忽遭暴雨即往一墓、以為避雨。

人有り、田畝を耕耘するに、忽ち暴雨に遭いて即ち一墓に往き、以て雨を避けんとす。

あるひと、田のうねを耕そうと野良仕事をしているときに、突然激しい雨に降られて、雨宿りせんと近くのお墓に駆け込んだ。

雨宿りができるのですから、現在沖縄で見られるような立派な門中墓だったのでありましょう。この墓、津波の北隣の安里邑にございました「安里親雲上昌房」(あさとべーちんしょうぼう)の墓であったと伝わります。

このひと、雨宿りしている間に、どうも変な物音を聞きつけた。

墓内有人息之声。

墓内に人の息するの声有るなり。

お墓の石の扉の向こうから、どうも人間のいびきのような音が聞えてきたのである。

ぶう・・・。すか・・・。ぶう・・・。すか・・・。

「?」

その人、不思議に思って、

自墓門隙処密偸窺之。

墓門の隙処より密かにこれを偸(ぬす)み窺う。

墓の扉のすきまから、そっと中を覗きこんでみた。

「むむむ・・・」

果然有人倚棺而睡焉。

果然として人の棺に倚りて睡る有るなり。

はたして、誰かが、棺桶に寄りかかっていびきをかいて眠っているのが見えたのである。

「うひゃあ」

即往邑呼人、而熟看見之其墓門不開、但有一小孔。不知其従何処而入焉。

即ち邑に往きて人を呼び、しかしてつらつらこれを見るに、その墓門開かず、ただ一小孔あるのみ。知らず、その何処(いずこ)より入れるかを。

すぐに集落に行って人を呼び集めて戻ってきたのだが、そこで衆人とよくよく観察するに、その墓の扉は押しても引いても開かない。ただ先ほど覗き見をした小さな穴があいているだけなのだ。一体、中の人がどうやって入ったものなのか、見当もつかなかった。

何人もの力で、扉の隙間に木の端を入れ、それをてこにしてようやく墓の扉をこじ開けることができ、中の人を救い出すと、

即国吉妻也。其面目活動、気亦未絶。

即ち国吉が妻なり。その面目活動し、気またいまだ絶せず。

それは行方不明の国吉の女房であった。その顔色を見るにまだ生きているようであり、呼吸もしている。

そこで次のようにいたしました。

@  先以黄土和水灌入其口中。

まず、黄土を以て水に和してその口中に灌ぎ入る。

まず、黄色い土を水に溶いて、これを女房の口に注ぎ入れます。

A  次以粥湯漸漸食之。

次に、粥湯を以て漸々としてこれに食らわす。

第二に、お粥とお湯を、少しづつ食わせる。

B  至于数日醒而活生。

数日に至りて醒め、活生す。

すると、数日後にやっと気をとり戻し、生き返ったのであった。

「いったいどうやってあの中に入ったのか」

「これまで飲み食いなどはしてなかったのか」

いろいろ訊かれましたが、女はただ、

如寝而醒全無所知識。

寝て醒めたるごとく、すべて知識するところ無し。

「長いこと寝ていて、今目を覚ましたような感じじゃ。いろいろ訊かれても何も覚えておらん」

と答えるばかりであったのでございます。

時に尚益王の即位元年、すなわち清の康熙庚寅年(1710)でございました。女はその後つつがなく生きたが、雍正丙午年(1726)に至ってたまたま一病を得てみまかったという。

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鄭秉哲等編「球陽」巻九より。

突然の「行方不明」→「お墓の中で発見」という「神隠し」事案です。チャイナ近世に類話がたくさんありますが、次のような点をチェック事項として指摘しておかなければなりますまい。

ア) 沖縄では正月にはもう田圃の畝起こしをする。

イ)18世紀初頭には門中墓が田舎にもあった。

ウ) 気を喪っているひとには土ジュースを飲ませる。

勉強になるなあ。伊波普猷先生の「南島古代の葬制」(「をなり神の島」(昭13刊)所収)よりタメになるかも。

「球陽」は「琉球正史」の触れ込みも高いすばらしい本でございますが、国家の法制・外交・軍旅のことに交えてこういう奇異のことも記録しているのでオモシロいのでございます。もちろん、「正史」でございますから、信用してはなりませんが。

 

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