もうすぐ週末だ・・・が、明日がたいへんなのだ。
(明日なんか来なければいいのに・・・ぐしゅん)
と泣く泣く寝ようと思いましたら、夜遅くにご隠居がやって来ました。
「わしがこの目で見た不思議なことの三つめを聞きなされ・・・」
けんかすると疲れるので、とりあえず黙って聞きます。(10月10日の続きである)
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南宋の末、咸淳癸酉の歳(1273)、わしが江西・旴城の地に住んでいたころ、南豊にあったおふくろの実家にモノノケ(「鬼」)が出るというは話を聞いた。
実家から使いに来た者が言うには、
毎当昏時、有声歘然于屋前後。
昏時に当たるごとに声、歘然(くつぜん)として屋の前後に有り。
「毎日日暮れになると、家の表からも裏からも、騒がしい音が聞えてくるのでさあ」
と。
「ほう。それは何の音なのじゃな?」
「それがわからないのでさあ。はじめは音の聞こえるあたりを灯りで照らして探してみたのだが、原因になるような物があるわけではないのです・・・」
音は窓枠のところ、あるいは台所、と家のまわりをぐるぐるとまわって鳴り続ける。
その間、
老幼皆縮頸滅燭、噤不敢声、達旦乃已。
老幼みな頸を縮めて燭を滅し、噤みてあえて声せず、旦に達してすなわち已む。
年老いた者も幼い者も、みんな首をすくめ灯りを消し、口を閉ざして声をもらさず、じっと音の止むのを待つのだが、それは朝日の射すころようやく止むのである。
明日復然、如是者踰半年。
明日また然り、かくの如きこと半年を踰ゆ。
「次の日また同じように音が聞えはじめるのでさあ。それがもう半年にもなるのです」
「へー、そりゃ不思議だねー」
と、このときは半信半疑で聞いていたのであったが・・・。
しばらくして、このおふくろの実家のヨメが亡くなったので、わしは弔いに行くことになった。
おふくろの実家であるから、幼いころから何度も訪ねたことがある、懐かしい家である。
弔いの一日目、わしは客間の榻(しじ。ベッド)に案内されて寝に就いた。・・・・・・・・・
・・・・・・と、思ったが、寝入りばなに
忽聞鬼声。去臥榻三五尺、去地僅二尺、且行且鳴。
忽ち鬼声を聞く。臥榻を去ること三五尺、地を去ること僅かに二尺、かつ行き、かつ鳴せり。
突然、モノノケの音が聞えたのだ。その音、わしの寝ているベッドから一メートルか一・五メートルほど離れたところ、土間の床から五十センチぐらいしか離れておらぬところで、ふらふらと移動しながら鳴るのであった。
「むむ、静かにせんか!」
予、叱之。
予、これを叱す。
わしはそのモノに向かって叱りつけた。
しかし、音は止むことはなかった。
其声或遠或近、予亦困且睡矣。
その声、あるいは遠く、あるいは近く、予また困じかつ睡れり。
その音は、遠ざかったかと思うと近づいてきて、また遠ざかる。こんなことを繰り返しているうちに、わしはくたびれ果てて眠り込んでしまった。
翌日、葬儀が終わると、わしは早々にその家を離れたのであった。
しばらくして聞いたところによれば、母の実家の一族はついにその家を離れたということであった。その家は空き家となったが、住む人がいなくなったところ怪異にことは起こらなくなってしまった、という。
これがわしのこの目で見た―――いや、この耳で聴いた、というべきかーーー不思議なことの第三である。
ところで、それから三年後、元軍が南下してわしの自宅のあった旴城の町にも近づいてきたので、わしは南豊の町に避難し、このおふくろの実家に仮住まいすることになった。
昔之鬼声無聞矣。毎独座至夜分亦汔寂然。
昔の鬼声聞こゆる無し。独座して夜分に至るもつねにまた汔(きつ)として寂然たり。
以前のモノノケの音はまったく聞こえなかった。ひとり、真夜中まで起きていても、いつもしーんとして、何の物音もしなかった。
一体あの音は何物だったのであろうか。
その後、南豊の町も元軍の侵入によって灰塵と帰し、懐かしいあの家ももう無いのである。
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一家が移り住んだら止んだ、ということから、これは国家滅亡前夜の不安な民心に強く影響された一家の誰か(おおかた未婚の少女など)の意識下のエネルギーが暴発した「ポルターガイスト現象」であったろうとほぼ確実に推定されますね。元・劉壎「隠居通議」巻三十より。
話し終わった劉隠居は、昔が懐かしいのか、目に涙をため、はなみずを啜った。
「そろそろ帰られたらどうですかな」
と声をかけてみたら、
「いや、別の話もあるのじゃ・・・」
とまだ粘りたいみたい。しかし、わたしは明日もしごと(それも辛いしごと)があるので、寝ます。