自己嫌悪が強くなってまいりました。南国にも秋が来たのです。季節の変わり目はやはりダメだ。
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自分に疲れて、今日は酒場に行ってみたぜ。(童子なのでちゅが)
酒場では子夜ねえちゃんが唄っていた。
陌頭楊柳枝、 陌頭(はくとう)の楊柳の枝、
已被春風吹。 すでに春風に吹かれたり。
妾心正断絶、 妾が心、正に断絶せん、
君懐那得知。 君が懐(おも)いなんぞ知るを得ん。
道のほとりのやなぎの枝は
もう春風に誘ってもらっているのにさ。
あたしの心はほら今ちょうど消え入ってしまうところよ、
あんたの気持ちがわからないから。
おいらの気持ちももう消え入ってしまいそうだぜ・・・。
「肝冷斎、コドモのくせに何でこんな酒場にまで来てるのよー」
と子夜ねえちゃんに見つかりました。
「いや、その、メシでも食いにと思いまちて〜。かぎっ子なので〜」
「そうか、肝冷斎も苦労してるんだねー」
「ちょ、ちょうなんでちゅ(別に苦労してないけど・・・)」
「そっかー、よし、ナデナデしてあげるからがんばるんだよ」
ねえちゃんはあたま撫で撫でしてくれまちた。うう。柔らかいお手々でやさしくされて、おいら涙がなぜかあふれた。
おいらずいぶん疲れているんだろうな。
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「子夜春歌」(子夜の春の季節の唄)(「唐詩選」所収)。作者の郭震は河北・大名の人、字は元振といい、生来任侠を好む。唐・高宗の咸亨四年(673)にいまだ十八歳にして進士に及第、その後、則天朝から中宗時代にかけて、大将軍、吏部尚書(人事庁長官)にまで進んだ典型的な「出入将相」(辺境では将軍、都に戻れば大臣になる)の名臣であったが、玄宗皇帝が即位すると合わず、開元元年(713)広東に遷され、さらに江西に戻されたが、その赴任の途中に卒した。
ところでこの詩、「唐詩選」中でおそらく第一番に六朝以前からの歌謡曲である「楽府」のフンイキを濃厚に漂わせているので、我が朝・江戸期の詩人たちに特段に気に入られ、美しい訳が行われているので有名である。高木正一先生が「唐詩選」(朝日文庫版)で紹介している邦訳を引用しますと、
●道のほとりの青柳を、あれ春風の吹き渡る。
わしの心の遣る瀬のなさを、思ふあたりに知らせたや。 (服部南郭訳)
●町のほとりの柳さへ、あれ春風が吹くわいな。
わしが心の遣る瀬なさ、思ふとのごに知らせたい。 (柳沢淇園訳)
よく似てますけど、少しだけフンイキ違いますね。おいらはより砕けてしまって、三味線の伴奏無しでは聞けそうにもない淇園の訳がええな。