昨日は飲酒により更新できず。はあ・・・。おれは自己嫌悪が昂じて旅に出ることにしたぜ。
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ところで、北宋の元豊年間(1078〜85)、新法・旧法両党の政争の激しいころ。
江南・瑞州の高安県に蘇轍が左遷されてまいりました。蘇東坡の弟です。
その蘇轍のところに、面会を求めて来た者があった。取次の下吏の持ってきた刺(木製の名刺)を見るに「趙吉」とある。
「この趙吉というひとはどんな人なのじゃ?」
と訊ぬるに、下吏曰く、
「ひひひ、この高安の地では有名な人でございますよ」
「ほう。どういうふうに・・・」
「ひひひ、みな、彼のことを
高安狂人(高安県随一の狂人)
とお呼びしておりまする」
「なんと」
「どうされますかな? かなり鬱陶しいひとですぞ」
「どうしようかなあ・・・」
蘇轍も兄同様、下層人民や世の中から棄てられたような類のひとと知り合うのがイヤではないタイプのひとである。
取りあえず面会することにした。
対面してみて、蘇轍は「う」と息を呑んだ。
趙吉は相当の高齢と見えたが、特に介添えもなくすたすたと室内に入ってきた。ところがその顏をまじまじと見るに、
両目皆翳。
両目みな翳なり。
その両目の眼球は、いずれも白眼も黒眼もなく、ただ灰色にかすんでいるだけであったのだ。
異貌である。
「ほほほ、どうなされましたかな?」
「い、いや・・・」
「ほほほ、このような眼でござるが、視力は常人同様ですぞ」
視線がどこにあるか余人からは分からぬが、彼からはまわりがよく見えている、というのである。
そして自ら、
「ほほほ、わしは
生一百二十七年也。
生じて一百二十七年なり。
生まれてから127年になりまする」
と言うた。
「は、はあ・・・」
「高名な蘇欒城先生がお見えになったというので、一度拝謁しておきとうございましてなあ・・・」
「は、はあ・・・」
「しかるに! じゃ。
吾知君好道而不得要。陽不降、陰不昇、故肉多而浮、面赤而瘡。
吾知れり、君は道を好むも要を得ず。陽降らず、陰昇らず、故に肉多くして浮、面赤くして瘡なり。
わしにはわかりましたぞ。あなたさまは道教の修養を心掛けておられるようだが、どうもポイントを外しておられる、ということが。陽の気が下半身までいきわたらず、陰の気の方はおつむまであがってこない。じゃから、肉はたっぷりあるのに骨との間に隙間があり、顏は赤くて元気そうなのに、皮膚病があるのじゃ!」
そして、水分を体中にいきわたらせる術(「挽水漑体法」なるもの)を教えた。
おかげで蘇轍は十日ほどで、体調の不良がすべて治ったよし。
また、このころ江西・黄州にいた兄貴の蘇東坡のところにも現れて、同じように教えて行ったという。
趙吉は、
後屍解。
後、屍解せり。
その後、死んで葬られたが棺桶の中から昇仙するという「屍解」を行って仙人になった。
そうである。
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「輿地紀勝」巻二十七より。旅に出たおいらがふらりとみなさんのところに面会に行ったときに、「なんか鬱陶しいやつ・・・」と思っても面会を断らない方がいいですぞ。おいらも何かいいこと教えるかも知れません。(タダ飯食ってくだけかもしれませんが)