今日は月替わりや、でかいことしたる!と思ってステーキ食いました。体中があぶらっこくてにゅるにゅるする。帰ってきたら「月当番」が回ってきておりました。年老いて「月当番」をする羽目になろうとは・・・。
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年老いても元気な人はおります。
蓋世豪気老未消、 蓋世の豪気 老ゆれどもいまだ消えず、
宝刀霜冷尚在腰。 宝刀霜冷ややかにしてなお腰にあり。
磨礪金竜山下石、 金竜山下の石に磨礪し、
提来欲斬水中妖。 提(ささ)げ来たって水中の妖を斬らんと欲す。
この世を覆ってしまうような強い気持ちは、年をとったがまだ失ってはおらぬのじゃ。
貴重なこの刀は霜のように冷え切ったまま、いまもなおわしの腰にさげておるのじゃ。
刀をさらに金竜山の下の石で磨き研ぎ、
引っさげて行って水の中にひそむ妖怪を斬ろうと思うのじゃ。
年をとっても冷え切ったまま腰にさげてあるのだ。「月当番」ぐらいなんということも無くし遂げてしまうのでしょうなあ。
ちなみに「金竜山」とは浅草寺のある山であり、「水中」というのは隅田川の中のことです。今は斬るべきほどの妖怪はどこに居るのかなあ。
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作者は北山・山本喜六。「宝刀」と題する七絶である。北山は宝暦二年(1752)江戸に生まれ、崎門から折衷学に遷り、徂徠学派に異を唱え、竹堤吟社を起こして数百人の門弟を擁したというが、亀田鵬斎ら「江戸五鬼」の一として寛政異学の禁のターゲットとなった。ただし、その寛政年間に秋田藩日知館教授に招聘されている。
その行動、ほとんど侠客のごとく、自ら印章に「儒中侠」の三字を刻んでいたという。
文化九年(1812)卒―――ということは満年齢で60ぐらいですね。そんなに元気でも60までか、いわんやわしをや。
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