おメメがひりひり痛みまちゅ〜。
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さーて、王さんの家に、「玉夢花楼」という建物が完成しましたよー。おメメの病気でお休み中なので早速に見物に行ってくる。
まず一階の部屋に通される。ここは四面にそれぞれ二つづつ、八つの窗(まど)が開き、あらゆる方向に通じているのだ。
月夕花晨、如水晶宮、万花谷也。
月の夕べ・花のあした、水晶宮・万花谷の如きなり。
月の宵には四方とも透明な光の世界で、まるで氷の館に住んでいるようだろうし、花咲く朝にはどちらを見ても花ばたけで、まるで花に埋もれて眠っているようだろう。
この部屋の左側の、窗と窗の間に小さな階段があって、これを通じて「玉夢楼」に昇ることができるようになっている。
御存じのとおり、
仙人好楼居。取遠眺而宜下覧平地、拓其胸次也。
仙人は楼居を好む。遠眺を取り、下に平地を覧、その胸次を拓くによろしきなり。
仙人は高い建物に住みたがる。遠くが眺められるし、下にひろびろとした大地を見て、胸のうちを開くことができるからである。
ゲンダイでも、「○○とケムリは高いところに昇る」と申しますが、この○○に「仙人」が入る、と言いたいようです。
楼の最上階(三階)まで昇ってみます。
ああ、よい景色ではありませんか。
この部屋には達磨大師の画像を置きたいね。
得自十年専静也。
おのずから十年の専静を得るなり。
そうすれば、自然と十年の間、ここで静かにじっとしていられるだろう。
座布団を一つ。その前には香炉を一つ。宵にはお香の煙がくゆる中、大師の画の前に小さな灯明をともすのだ。
座禅する者の智慧がその者自身の足元の暗がりを照らすのを、この灯明が助けてくれるだろう。
この部屋には「楞厳経」一巻をそっと置いておきたいね。毎日ここでお経を読誦していれば、やがては見識も清浄になっていくことだろう。
その下の階にもお香が焚こう。そこには「南華真経」(「荘子」のこと)を置いておこう。「楞厳経」と「南華真経」を読むのなら、
登楼只宜在辰巳時、天気未雑。
楼に登るはただ辰巳の時、天気いまだ雑わらざるにあるべきなり。
二階・三階に登るのは、午前8〜11時ごろ、まだ世界の空気が濁ってしまわないぐらいの時刻にするのがいいだろうね。
また一階に戻ってくる。
部屋に小さな違い棚を取り付けよう。東側がいいかな。東の窗の下に机を入れ、そこには、
置先儒語録、古本四書白文。
先儒の語録と「古本四書」に白文を置く。
宋代以降の歴代の儒者たちの語録と、(朱子が整理し直す以前の)むかし版の「四書」(王陽明が編したもの)の註釈抜きのもの、を置いておく。
聖人賢者のほんとうに言いたかったことは、後世の学者の注釈の中に書いてあるわけじゃないからね。本文だけで足りるはずだ。
北の窗の下にも棚を設け、そこには
置古秦漢韓蘇文数巻、須平昔所習誦者。時一披覧、得其間架脈略。
古い秦・漢・韓・蘇の文数巻、すべからく平昔の習誦するところのものを置く。時に一たび披覧して、その間架脈略を得るなり。
古びた秦・漢代の史記や漢書のような古典、韓愈、蘇東坡ら唐・宋の大家の文集を数巻、いつも読み慣れているものを置いておく。ときどきちらりと読んで、その大筋を把握しようというのだ。
それから、現代(←明代のこと)の政治家・行政官たちの時代の問題を論じた論文も数篇、古典の後ろに並べておきたい。
西側の窗の下には長めの机を横にしておく。
陳筆墨古帖、或弄筆臨摸。
筆墨古帖を陳(なら)べ、あるいは筆を弄して臨摸す。
筆と墨と、有名な書家の作品の写しを並べておき、気が向いたときには複写するのだ。
気が向いてきたら、忠実に真似るのでなく、少々崩してみるのもいいかも知れん。あるいは何か題を設けて作文してみるのもいいかもね。
南隅古杯一茶一壺酒一瓶、烹泉引満。
南の隅には古杯一、茶一壺、酒一瓶、烹泉引きて満つ。
部屋の南側には、古いさかずきを一つ。お茶の葉を一壺。お酒を一瓶。お湯が沸いている。
さあ、これで
浩浩乎備読書之楽也。
浩浩乎として、読書の楽しみを備うなり。
こころはひろびろとして、書を読む楽しみは完成するであろう。
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明・張侗初「題王甥尹玉夢花楼」(王甥尹の「玉夢花楼」に題す)(「晩明二十家小品」所収)。
わがままなひとでちゅねー。世の中そんなにいいところありませんよ。まあいいや、明日明後日は休みだから、大きな気分で行ってみよー。