今週のしごと終わり。明日からは汚れた現世から離れ、隠逸するよー。
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伝説の時代のことでございます。
「尚書」や「論語」などの儒家の書では、聖天子・堯は娘ムコの舜に天下を譲ったことになっておりますが、道家によればその前に、隠逸していた許由に天下を譲りたいと持ちかけたのだそうである。
許由は
「うひゃあ、いやなことを聞いた。耳がよごれてしまったぞ」
と逃げ出して、
洗耳于水濱。
耳を水濱に洗う。
水際で耳を洗った。
「荘子」でも有名な「許由洗耳」の故事でございます。
そのとき、同じ隠者の巣父(そうほ)は子牛を牽いてそのかたわらにあり、子牛に水を飲ませながら、
見由洗耳、問其故。
由の耳を洗うを見て、その故を問う。
許由が耳を洗っているのを見て、「なぜそんなことしているのかな?」と訊いた。
「実は、
堯欲召我為九州長。悪聞其声、是故洗耳。
堯、我を召して九州の長たらしめんとす。その声を聞くを悪み、このゆえに耳を洗うなり。
堯のやつがわしを呼び寄せて、九つの国からなる天下のおさにしようとしおったのじゃ。その言葉を聞いたのがいやで、よごれた耳を洗っているのじゃ」
それを聞いて、巣父は苦々しげに訊ねた。
「どうしてそれがいやなことなのだ?」
「おまえはいやではないのか」
巣父曰く、
子若処高岸深谷、人道不通、誰能見子。子故浮遊、欲聞求其名誉。
子もし高岸・深谷の人道通ぜざるに処(お)らば、誰かよく子を見んや。子、もと浮遊、その名誉を求むるを聞かんとす。
「許由よ、おまえがもし高い崖のかなた、深い谷の向こう、ひとびとの通わぬかなたに住んでいたならば、誰がおまえを見出すことができたろうか。おまえは、もともと浮き立つ心があり、名前を知られ誉められたいと思っていたのではないかな」
「む!」
何か言おうとした許由だったが、巣父は彼を振り返りもせず、
汚吾犢口。
吾が犢(こうし)の口を汚せり。
「汚れた耳を洗うた水で、わしのかわいい子牛の口をようも汚してくれたわい」
と吐き捨てるように言うと、子牛を牽き、上流に場所を替えて水を飲ませなおしたのであった。「巣父飲犢」という故事にございます。
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晋・皇甫謐「高士伝」巻上より。隠逸の世界もきびしー! 人道の通じるところにいると、ちょっとした機会に世俗権力の側に「見出されて」しまい、同輩からケイベツの目で見られてしまうかもしれんのですよ。早く高い崖・深い谷のかなたに行ってしまおー。