じめじめしてきました。雹までは降らないので、まだ天の怒り・人の不和は、さほどでも無いのであろうが・・・。
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北宋の半ばごろ、舞陽県令の欧陽脩が文書に目を通しているところに幕僚がまいりまして、
「う〜ん、困ったことにござる」
と言うのである。
「どうした?」
「それがことでござる。近日、大いに風吹く日が多く、時に雹も降り、県内のムギの苗はほとんど全滅に近い。これにつきまして、近隣の百姓どもが相集まって申すには、
鄭之盗、有入樊侯廟刳神像之腹者。人咸駭曰、侯怒而為之也。
鄭の盗に、樊侯の廟に入りて神像の腹を刳(えぐ)る者あり。人みな駭(おどろ)きて曰く、「侯、怒りてこれを為すなり」と。
河南の盗賊の中に、舞陽にある漢の将軍・樊噲(はんかい)を祀るお堂に入って、樊噲の神像の腹に穴をあけた者がある、と。人民どもはあまりのことに恐れおののき、「樊噲さまが、そのことに怒ってこのような不順な天気をもたらしておられるのだ」と言っているのでございます。
そして、樊噲さまのお怒りを鎮めることができないのは、県令の無能と批判する始末・・・」
欧陽脩は一流の知識人、一代の名儒である。
「はあ?」
と、言いたくもなってくるではありませんか。
「なにを言っておるのだ、愚民どもは」
欧陽脩、幕僚に向かって説いて曰く、
「樊噲さまは漢の高祖に仕えた猛将だが、もと犬の屠殺と業とし、やがて高祖のもとで軍功を立てて、侯爵にまでなった方だ。暴圧の秦のあとを受けて乱世を統一した漢の功績は長く伝えられるべきものであり、その漢の統一を助けた樊噲さまについても、
其功徳于民則祀之。
その功、民に徳たればこれを祀る。
その功績が、人民に利益になったのであれば、そのひとを神として祀るものだ。
という「礼記」の記載に合致するものとして、廟を建てることに間違いはない。
漢の高祖と楚の項羽は、この舞陽のあたりで激しく戦いあったというから、生前の樊噲さまが敵兵の首級をあげ、その功績を立てた地だ、と思えば、その廟がこの舞陽にあるのも正しいことであろう。
「史記」の高祖本紀にある有名な「鴻門の会」の場面で、樊噲さまはまなじりを高くあげてぎろぎろとあたりを睨みまわして、項羽の気を弱らせ、高祖を害そうとするのを止めさせた。故に後世に至るまで、樊将軍の勇武は称せられ、その聡明と正直、忠義のあつさは語り伝えられてきたのである。
・・・ところが、その樊噲さまが、
当盗之剚刃腹中、独不能保其心腹腎腸、而反移怒于無罪之民。
盗の腹中に剚刃(しじん)するに当たり、ひとりその心・腹・腎・腸を保つあたわざるのみならず、反って怒りを罪無きの民に移す。
盗人が己れの(像の)腹の中に刀を刺しこむや、自分の力で心臓・内臓・腎臓・腸を守ることができなかった。しかも、それだけでなく、そのことに対する怒りを、何の罪も無い人民どもの上にぶちまけ、風を吹かしたり雹を降らしたりしている。
生きているときは一万人の敵にも互角にわたりあった勇士が、神になったらおのれの身すら守れない、というのか!」
「まったくごもっとも」
幕僚は平伏した。
「しかし、人民どもが・・・」
「う〜ん、人民どもか・・・」
そこで、欧陽脩は文を作って、樊侯の廟前に人民どもを集め、お香をもくもくと焚いてこれを読み上げた。
―――ああ。樊侯よ。
豈其霊不神于御盗、而反神于平民、以駭其耳目邪。風霆雨雹、天之所以震耀威罰。宜有司者、而侯又得以濫用之邪。
あにその霊、盗を御するに神ならずして、反って平民に神にして以てその耳目を駭かさんや。風・霆・雨・雹は天の、以て耀きを震わせ罰を威(おど)すところなり。よろしく司る者あるべきに、侯はまた得て以てこれを濫用せんや。
あなたの神霊が、盗人どもを支配する神性を持たず、逆に人民どもに対してのみ神性を持ち、彼らの耳や目を恐れおののかせる、というようなことがあるはずはございますまい。そして、風やいかづちや雨や雹の天災は、天がその偉大さを知らしめ、悪人に天罰を与えるための道具でございます。それは天の中で、司る神々がおられるはずでございます。あなたが勝手にそれを使っているとしたら、それは権力の乱用にございましょう。
もしそうであるとしたら、どうぞ、権力の乱用をお止めください。お止めいただけないのなら、わたしは天のしかるべきところに訴え出ることにいたしますから。
それから・・・、人民どもよ。
蓋聞陰陽之気、怒則薄而為風霆、其不和之甚者、凝結而為雹。
けだし聞く、陰陽の気、怒ればすなわち薄くして風霆と為り、その不和の甚だしきは凝結して雹と為る、と。
(知識人である)わしはこのように聞いている。陰の気と陽の気は、お互いがうまくいかないときは広がって風といかづちを生むものであり、その不和がはなはだしいときには、凝結して雹に変化する、と。
方今歳且久旱、伏陰不興、壮陽剛燥、疑有不和而凝結者。豈其適会民之自災也邪。
方今歳まさに久しく旱し、伏陰興らず、壮陽の剛燥なるは、疑うらくは不和にして凝結するもの有るならん。あに、そのたまたま民の自災するに会するあらんや。
現在、今年に入って以来ずっと日照り続きで、隠れた陰のエネルギーも現れず、陽の力ばかりがさかんで乾燥が続いているので、この陰陽の不和が大きくなり、凝結して雹を降らしたものなのであろう。決して、人民自身が(お上に不平を抱いたり、お互いの間で不和になり、それを凝結させて)自分で災害を起こしている、というのではないだろうからのう!
もしそういうことであったら、激しい怒りのいかづちと叱咤の風を吹かせ、樊侯の威厳ある神霊がお前たちの上に怒りをぶちまけてもおかしくないのであるがのう!
以上。
―――欧陽脩は人民どもにかように教え諭したのであった。
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宋・欧陽脩「樊侯廟災記」(「古文辞類纂」巻五十五所収)より。ほんと、むかしの人民には困りますねー。われわれ現代人はマスメディアに真実を伝えてもらっているから、いつも正しい判断ができるからいいけどね。・・・もちろん皮肉ですよ。