平成24年5月15日(火)  目次へ  前回に戻る

 

まだ火曜日。

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平日の一日の長いこと。こんなのが一年三百六十日、百年三万六千日もあったらほんとに長いことでありましょう。

一年は三百六十日

百年で三万六千日

という言い方は、昨日もございました。李太白の詩にもございました。

平仄を見ると(○は平、●が仄)

一年三百六十日は ●○○●●●● となりますが、「十」は呉音で「シン」と読むときには平音なので、平音で読めば ●○○●●○●。七言句の基本である「二四不同二六対」(二字目と四字目は平仄が違い、二字目と六字目は同じ)の条件を満たし、また最後の三字に平又は仄が続くという「下三連」の禁止も守っていることになります。

百年三万六千日は●○○●●○● でそのままで上の条件を満たしておりますね。

このため、詩語としてたいへん使いやすい上、意味はわかりやすいし、文字面・字音いずれもたいへん印象に残るためでしょう、あちこちで使われているのでございます。

一例)早春漫書(早春 漫りに書す)  伊藤東涯

歳晩吾非奔走人、  歳晩(く)るるも吾は奔走の人に非ず、

春回不是拝趨身。  春回(めぐ)れども是れ拝趨の身ならず。

図書三百六十日、  図書 三百六十日、

喚做清時一逸民。  喚びて做(な)す 清時の一逸民と。

年の瀬にはみなさん歳末で忙しいらしいが、わしは世事に奔走することはござらぬ。

新春になりますとみなさん年始の挨拶で大わらわだが、わしは拝礼し小走りに走る必要のある身ではない。

一年の間、いにしえの書籍を三百六十日ひっくり返していればよい。

太平の世の隠者とお呼びいただきたい。

と思ったのですが、第二例が出てこないので、今日はここまでじゃ。

東涯先生は京都・堀川学派(古学派)の祖・伊藤仁斎の長子、「見聞談叢」の著者・伊藤梅宇の兄に当たる。性温厚にして篤実、しかしその才学は鼻っ柱の強い荻生徂徠をして懼れしめたという。

 

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