まだ火曜日。
・・・・・・・・・・・・・・
平日の一日の長いこと。こんなのが一年三百六十日、百年三万六千日もあったらほんとに長いことでありましょう。
一年は三百六十日
百年で三万六千日
という言い方は、昨日もございました。李太白の詩にもございました。
平仄を見ると(○は平、●が仄)
一年三百六十日は ●○○●●●● となりますが、「十」は呉音で「シン」と読むときには平音なので、平音で読めば ●○○●●○●。七言句の基本である「二四不同二六対」(二字目と四字目は平仄が違い、二字目と六字目は同じ)の条件を満たし、また最後の三字に平又は仄が続くという「下三連」の禁止も守っていることになります。
百年三万六千日は●○○●●○● でそのままで上の条件を満たしておりますね。
このため、詩語としてたいへん使いやすい上、意味はわかりやすいし、文字面・字音いずれもたいへん印象に残るためでしょう、あちこちで使われているのでございます。
一例)早春漫書(早春 漫りに書す) 伊藤東涯
歳晩吾非奔走人、 歳晩(く)るるも吾は奔走の人に非ず、
春回不是拝趨身。 春回(めぐ)れども是れ拝趨の身ならず。
図書三百六十日、 図書 三百六十日、
喚做清時一逸民。 喚びて做(な)す 清時の一逸民と。
年の瀬にはみなさん歳末で忙しいらしいが、わしは世事に奔走することはござらぬ。
新春になりますとみなさん年始の挨拶で大わらわだが、わしは拝礼し小走りに走る必要のある身ではない。
一年の間、いにしえの書籍を三百六十日ひっくり返していればよい。
太平の世の隠者とお呼びいただきたい。
と思ったのですが、第二例が出てこないので、今日はここまでじゃ。
東涯先生は京都・堀川学派(古学派)の祖・伊藤仁斎の長子、「見聞談叢」の著者・伊藤梅宇の兄に当たる。性温厚にして篤実、しかしその才学は鼻っ柱の強い荻生徂徠をして懼れしめたという。