平成24年4月30日(月)  目次へ  前回に戻る

 

昨日は所用のため更新できず。所用によりほとんど眠れませんでした。今日は早く寝ないと明日会社に行けない・・・。

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ので、本日は次の一篇の詩を呈示するのみ。

三百六十日、  三百六十日、

日日酔如泥。  日々酔うて泥の如し。

雖為李白婦、  李白の婦(つま)たりといえども、

何異太常妻。  何ぞ太常が妻に異ならん。

 一年間、三百六十(五)日の間、

 毎日毎日「泥」のように酔っぱらっている。(このためお前の夜の相手もしてやれぬ)

 李白の女房だというけれど、

 あの「太常」さんの奥さまとどこが違うのか。(いつもすいません)

唐の大詩人・李太白の「内(つま)に贈る」の詩にございます。

このうたは「飲酒への依存」と「乱れた性生活」をうたっていて、自虐的、諧謔的な中にも、実はたいへんデカダンスなうただと思って少年時代より愛誦しておりますが、さて、@「太常さん」とはどんな人なのでしょうか。また、A「泥」のように酔う、とはどういう酔い方なのかな?

はやくねないといけない・・・ので答えは次回。

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明日は実は出張なので、「次回」はそれ以降、になります。昨日の「所用」が明後日以降も続くかも知れんが。

それにしても自由奔放で無責任体質に見える李太白に「ヨメがいたのか」と感心するひともおられるかも知れませんが、彼は「内に代わって」作った、という詩がいくつかあって、ヨメがいたのは確かなのです。おそらく子どもも何か所かに作っているようなので、やっぱり無責任体質のようにも思われます。

では、また次回。

ちなみに、本日、本年1月から読み進めてきたラブレー第一〜第五の書「ガルガンチュワ・パンタグリュエル物語」(岩波文庫・渡辺一夫)、および今月から読み始めた「宇治拾遺物語」上・下(岩波文庫・渡辺綱也校訂)を読了した。読んだ本のことなど普段は書かぬのだが(どうでもいいことですからね)、どちらも「よく読み終えられたなあ」と自分の根気のあるのに感慨深く思ったので、記しておくのである。

 

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