平成24年5月7日(月)  目次へ  前回に戻る

 

社会ではだれもが仮面をかぶっているわけだが、今日は先々週までわたしがかぶっていた仮面がどんなだったか思い出せなくて、疲れました。明日は思い出せるかな。

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晋の時代のことである。

ある男、江陵の町で見かけた女のことが忘れられぬ。いずれ誰かの囲い者か、素人筋の女ではとても無かったが、無錫の実家に帰ってきてからもその女のかおかたち・立ち居振る舞い・しめやかな肌理が思い出されてしかたがない。

「たまらぬな」

男は画の技巧に秀でていたから、

画作女形。

画きて女形を作す。

その女のすがたを絵に描いた。

もちろん一糸まとわぬ。

息を呑むほど美しい。はちきれそうな乳房もやるせなく、まるで今にも甘やかな吐息して、男の肩にしなだれかかってきそうである。

「これはよく出来た。よく出来たぞ、ははははは・・・」

男は笑い、そして自らの頭の簪(かんざし。いにしえは男児も冠を止めるのに簪を用いた)を抜くと、

簪着壁上。

壁上に簪着せんとす。

部屋の壁に、かんざしを用いてその絵を固定しようとした。

「ここだ、ここがよかろう」

男は、絵の女の

簪処正刺心。

簪処まさに心を刺せり。

左の乳房の下、まさに心臓のところに、かんざしを刺しこんだのであった。

「ふふふ、おまえを、必ず手に入れてやる」

男は、もう一度、乳房の下にかんざしを刺された女の絵姿をじっくりと見つめ、そして愛おしそうに微笑んでいた。

・・・・・ちょうどその時刻、遥かに離れた江陵の町で、

女行十里、忽心痛如刺、不能進。

女行くこと十里、忽ち心痛刺すが如く、進むあたわず。

女は所用で家を出たところであったが、そこから六キロほども行かぬうちに心臓に刺すような痛みを覚え、歩くことができなくなった。

そして寝付いてしまったということである。

男、そのような執心であったから、いろいろ手づるをたどって、とうとうその女を手に入れた。その後で、互いにちょうどその日のことであったと、二人で確かめあったことだという。

ちなみにこの男こそ、顧長康であった。

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南朝宋・劉義慶「幽明録」より。

如何にも六朝びとの好みそうな骨太だが陰影のある説話ですが、中国史上屈指の大画家・顧ト之(字・長康)って実はこんな人だったのですか!(それにしても「こがいし」と打ったら一発変換で「顧ト之」が出ました。やっぱり有名人なんだなあ。) 「顧ト之」の名を世界史や美術史の中だけで御承知の方はイメージが違ってしまうかも知れませぬが、顧ト之は晋代一流の貴族文人で、桓温や殷仲堪らの参謀として江陵にも滞在したことがあり、「博学にして才有り、尤も絵事に長」じ、

才絶、画絶、痴絶。(思いつきの鋭さ、絵の上手さ、変人ぶり、の3点で人間離れしておった)

ために合わせて「三絶」とうたわれた人でありますから、画人の仮面だけをかぶっていたのではありません。といいますか、単に遊び好きで気ままで気の利いた貴族が、画も史上まれに見るほどにうまかった、というのが実際に近いであろう。

 

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