平成24年4月16日(月)  目次へ  前回に戻る

 

このところ心不全がひどいんです。不老長生の薬は無いかな。

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則天武后が唐に替えて建てた「周」の聖暦年間(698〜700)、洪州に胡超という僧があった(名前より按ずるに、おそらくは胡人(西域人)であろう)。

白鶴山に隠棲していたが、不思議の術を使うとの評判で、自らすでに数百歳であると称していた。

則天武后はこの僧を呼び出し、不老長生の薬を調合せしめたのである。

「仰せのままに」

と白鶴山を下りてきた胡超、長安近郊に寺院を与えられ、

所費巨万、三年乃成。

費やすところ巨万、三年にしてすなわち成る。

巨万の費用を使い、三年かけてついに薬は完成した。

宮中・三陽殿にてこの薬を献上す。

武后、服薬して

以為神妙。

以て神妙と為せり。

なんとなくぼんやりと、気持ちがよくなった。

「いかがでございます?」

「なんとなく、気持ちがようなったぞ」

「おお、やはり聖上におかれましては仙骨がございました。この薬で気持ちがよくなったのがその証拠。仙骨のございます方がこの薬を服用すれば・・・」

胡超、自信たっぷりに言う、

望与彭祖同寿。

彭祖と同じき寿を望まん。

「八百歳生きたという古代のひと・彭祖と、同じぐらいの寿命は得られましょう」

そこで、武后はみことのりして

改元為久視元年。

改元して久視元年と為す。

元号を改め、久視元年(「これからずっとこの世を見て行くことになる、そのはじめの年」)とした。

ちょうど西暦700年のことでございました。

胡超は手あつく褒美を頂戴した上で、また白鶴山に帰ることを許されたが、

「臣は世界の秘密をなお深く探り、八百年後にさらなる長寿の薬を調合すべく、東海の蓬莱山から西域の崑崙山へと旅してまいりたいと存じます」

と称して旅立って、その後の行方を知る者は無い。

―――その二年後、則天武后は崩御した。

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唐・張鷟「朝野僉載」より。

醒めない夢は無い、ということでしょうか。それにしても今夜はカラスがうるさいな。

 

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