このところ心不全がひどいんです。不老長生の薬は無いかな。
・・・・・・・・・・・・・・・・
則天武后が唐に替えて建てた「周」の聖暦年間(698〜700)、洪州に胡超という僧があった(名前より按ずるに、おそらくは胡人(西域人)であろう)。
白鶴山に隠棲していたが、不思議の術を使うとの評判で、自らすでに数百歳であると称していた。
則天武后はこの僧を呼び出し、不老長生の薬を調合せしめたのである。
「仰せのままに」
と白鶴山を下りてきた胡超、長安近郊に寺院を与えられ、
所費巨万、三年乃成。
費やすところ巨万、三年にしてすなわち成る。
巨万の費用を使い、三年かけてついに薬は完成した。
宮中・三陽殿にてこの薬を献上す。
武后、服薬して
以為神妙。
以て神妙と為せり。
なんとなくぼんやりと、気持ちがよくなった。
「いかがでございます?」
「なんとなく、気持ちがようなったぞ」
「おお、やはり聖上におかれましては仙骨がございました。この薬で気持ちがよくなったのがその証拠。仙骨のございます方がこの薬を服用すれば・・・」
胡超、自信たっぷりに言う、
望与彭祖同寿。
彭祖と同じき寿を望まん。
「八百歳生きたという古代のひと・彭祖と、同じぐらいの寿命は得られましょう」
そこで、武后はみことのりして
改元為久視元年。
改元して久視元年と為す。
元号を改め、久視元年(「これからずっとこの世を見て行くことになる、そのはじめの年」)とした。
ちょうど西暦700年のことでございました。
胡超は手あつく褒美を頂戴した上で、また白鶴山に帰ることを許されたが、
「臣は世界の秘密をなお深く探り、八百年後にさらなる長寿の薬を調合すべく、東海の蓬莱山から西域の崑崙山へと旅してまいりたいと存じます」
と称して旅立って、その後の行方を知る者は無い。
―――その二年後、則天武后は崩御した。
・・・・・・・・・・・・・・・
唐・張鷟「朝野僉載」より。
醒めない夢は無い、ということでしょうか。それにしても今夜はカラスがうるさいな。