だいぶん回復した。
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清の時代のことでございますが、わし(←だれかな?)が子どものころ、わしの郷里に「道学先生」(カチコチの朱子学信奉者)といわれる読書人がいた。
彼はどこに行くにもしゃちほこばってまっすぐ歩く。
至転路処必端立途中、転面正向、然後行、如矩。
路を転ずるの処に至れば必ず途中に端立して、面を転じて正向し、然る後に行き、矩の如し。
曲がり角に来ますと、道の真ん中で背筋を伸ばして立ち止まる。そして、曲がるべき方向に九十度、くるりと向きを換えて、それから歩きはじめる。その姿はまるでコンパスのようであった。
そしてまたまっすぐ歩いているうちに、
途中有碍、拱而俟。碍不去不行也。
途中に碍あれば拱して俟つ。碍去らざれば行かざるなり。
道の真ん中で障害物に出会うと、そこで立ち止まって、両手を合わせたままじっとしている。障害物が除かれないとそこに立ち止まったまま動こうとしないのである。
誰かが道の真ん中に手押し車を置いて用を足していたとする。
「道学先生」はほんの少しも脇によけるということをせず、その手押し車の前でじっと待っている。
誰かが戻ってくると、先生は、
「こんなところに物を置いて往来を邪魔するとはどういうことでありますか!」
と怒鳴りつけるのである。
しかし、手押し車を少し動かして彼の前を空けてやると、あとは振り返りもせずにまっすぐ行ってしまうのであった。
ある日、道学先生は祝い事のある家に瘦せた馬に乗って出かけて、主人に祝言の一つ二つを述べた。
そして、用事が終わると、くるりと向きを替え、まっすぐ進んで最初にぶつかった馬にまたがって、そそくさと家に帰りかけた。
「ちょっと待ちなされ」
とほかの客が追いかけてきて、
挽馬絡呼曰、此非先生馬、先生下。
馬の絡を挽きて呼んで曰く、「これ、先生の馬にあらず、先生下れ」と。
馬の手綱を掴んで引き戻すと、
「このウマはわしのウマじゃ、おまえさんのウマではなかろうが! はよう降りんかい!」
と怒鳴りつけたのであった。
先生は茫然としていたが、
客急曰、先生馬瘦、此馬肥。
客急に曰く、「先生の馬は瘦せたり、この馬は肥えたり」と。
その客はせきこんで言う、
「おまえさんのウマは痩せこけていたではないか、このウマはまるまると肥っているぞ!」
「な、なるほど・・・」
「早く降りろ!」
ようやく相手が言っていることに気がついた道学先生だったが、無理やりに引きずりおろされて、地面にしりもちをついた。
先生は起き上がり、裾の土埃を掃いながら、
一馬之微、遽分彼我、計及肥瘦、公真瑣瑣、非知道者。
一馬の微、にわかに彼我を分じ、計るに肥瘦に及ぶ、公まことに瑣瑣たり、道を知る者にあらざるなり。
「一匹のウマのような小さなものに、あれだ、これだと区別をつけるとは・・・。その区別の仕方が瘦せているか、まるまると肥えているか、だとは・・・。あなたはなんと細かいことにこだわるひとか! 世界をつらぬく「道」のことをどうして知ろうとなされないのか!」
と文句を言い続けていた。
けれど、道学先生はウマを取り換えようなどという稚拙なことを思っていたわけではない。自分のウマと他人のウマに区別がある、とはほんとうに知らなかったのである。
ところが、この道学先生、その曲がったことをしない性格が偉い方々に(誤解して)知られ、ある年、「孝廉方正」に挙げられてなんと官員の資格を得てしまったのである。・・・・・・
・・・・そのあとのことは、また時を改めてお話ししましょう。
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清・馬時芳「朴麗子」巻下より。
まだ肩慣らし程度のことしか書けませぬが、今回のウツ症状は四日〜五日程度が寛解してきたように思われますよー。二週間経っていないからお医者さんに行かなくてもよかったのでちゅ。つらつら思うに、今週末休めることになったのが大きいのではないかな。