力尽きてまいりました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
わしは清の浙江・徳清のひと、陳尚古と申します。
我が郷里には明の萬暦年間に栄達して広州巡撫となられた沈公という方がおられまして、そのひとが帰郷後に書きのこしたものを読んでいたら、次のような話があった。
―――はじめて広州に赴任したとき、文武の諸官がお目通りに来たのだが、その中に一人、おそろしく変わった風貌の男がいた。安という参将である。その容貌、
首僅存白骨、絶無額準輔頤。唯目光爍爍騰注。
首には僅かに白骨を存し、絶して額準・輔頤無し。ただ、目光は爍爍(しゃくしゃく)として騰注す。
首筋には(肉が落ちて)少しばかり白骨が覗いているのである。そして、額の張り出しや鼻、頬や頤の肉はすべて削げ落ちているのだ。しかし、目の光だけはぎらぎらと強く、ひとを睨み据えている。
これにはおどろき、すぐに側の人を通じて居残るように命じた。
ほかの客を帰したあと、安参将と二人、差向いとなって、何故にそのような姿になったのか、訊ねた。
安、答えていうに―――
玆地蚦蛇千歳以上者、高数十丈、亘四五里、或七八里、恒宵游。
この地、蚦蛇の千歳以上なるもの、高さ数十丈にして四五里、あるいは七八里に亘り、つねに宵遊す。
この地には、巨大なヘビがおりました。既に千年以上も生きており、その太さは数十丈(40〜50メートル)、長さは四〜五里、もしかしたら七〜八里(一里は600メートル弱)にも及ぶというもので、つねに夜に活動するのでござる。
この巨大なヘビのことを「五里蛇」と申しますが、このヘビは、活動中に
遇豺虎諸獣、則吸而呑之。其於人亦然。
豺・虎・諸獣に遇えば、すなわち吸いてこれを呑む。その人におけるやまた然り。
やまいぬやトラその他のけものどもと遭遇すると、すべて口より吸い込んで呑んでしまうのです。もちろん、人もそうでございました。
ある晩、わたしが夜番を終えて帰宅する途中のことでございますが、暗闇の中、突然、何物かに前のめりに引っ張られたかのようになりました。駆け足になって足をついていかせるのに精いっぱいなほどでありました。
覚為風摂去。
覚るに風のために摂去せらる、と。
風に持ち運ばれたのか、と思ったほどでありました。
続いて、周囲が生暖かく、さらには蒸し暑くなってまいりました。
如座丹爐中。萬火斉発、腥穢且逼人。
丹爐中に坐するが如し。萬火ひとしく発し、腥穢まさに人に逼る。
まるで、丹薬を作るための炉の中に入ったのかと疑うばかり。まわりから起こったたくさんの炎に取り囲まれているごとく、また、なまぐさくきたならしい臭いがぷんぷんしてまいった。
このとき、わたしは認識しました。
―――どうやら、わしは大蛇の腹に飲みこまれたのであろう。
と。
落ち着いたものでした。おそらく、周囲が真っ暗闇であったことで逆に胆が据わったものと思います。
わたしは、腰から剣を抜くと、ためしに
「えいや」
と頭上に振り上げてみた。
すると、どすん、と頭の上で手ごたえがあり、剣は大蛇の腹に深々と突き刺さったのでございます。
大蛇は、痛みに驚いたように大きく一揺れした。
「ほほう」
わしは突き刺さった剣を振りかざしたまま、すたすたと大蛇の腹の中を、前へ、後ろへ、右へ、左へ、と歩き回ってみた。
剖之、約厚五六寸。
これを剖くに、ほぼ厚さ五六寸なり。
大蛇の腹の肉はこれにしたがって切り裂かれた。その肉の厚さは五六寸(20センチぐらい)もあり申した。
大蛇は痛みに大きく体をよじっているようである。
わたしはしばらく、この大蛇が痛みのために、天に飛び上がり地に自らを叩きつけるままにさせました。
蛇は、
奔躍数十里外、経時纔出。
数十里外に奔躍し、経時にしてわずかに出づ。
何十里ものた打ち回り、ずいぶんと時が経ったところで、ついに腹肉の一部が完全に割れ、わたしはそこから外に出ることができた。
そのときにはすでに蛇はほぼ息絶えておりました。
某通体殷紅、頬上皮肉倶尽。
某、通体殷紅にして頬上の皮肉ともに尽く。
わたしは、体中が真っ赤に爛れ、頬より上の顏の皮膚と肉はすべて溶けてしまっておりました。
そのまま倒れ、家に担ぎこまれたのですが、体中の痛み堪えがたいほどで、半年ほど臥して、ようやく起き上がることができるようになったのでございます。
ヘビの方は長さ五里、山中のひとびと争ってその肉を採り、
燃灯。
燃灯とす。
燃料や夜の明かりに使っておりました。
脂肪分が多いのでよく燃えたのである。
今も、その骨があちこちにのこっております。また
鱗大如笠。
鱗大なること笠のごとし。
ウロコもばかでかくて、一枚一枚が笠ほどもあったのでございます。
このあたりでは、今も、雨が降るとわたしが倒した蛇のウロコを拾って笠にしております。・・・・・・
―――勇者であることよ。
沈公は感動して、安参将にいうた。
―――そのような危険な場面でも沈着に行動できるとは、
樹功当不遠矣。
功を樹つることまさに遠からざらん。
あなたはいずれ大きな功績をのこすことになられる方じゃろう。
と。
その言葉どおり、後、南蛮どもが反乱を起こしたとき、蛮人どもは「大蛇殺しの安将軍」の名を聞いただけで怯み、
即驚怖逃匿、果屢著勲績。
即ち驚怖して逃匿し、果たしてしばしば勲績著し。
ただちに驚きおそれて潰乱したので、はたして何度もいちじるしい功績をあげることとなった。
その後、安将軍は沈公の生前に、ついに副総督の地位にまで昇進したときく。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
清・陳尚古「簪雲楼雑説」より。わしも巨大な大蛇らしきものに呑みこまれてすでに三十年近くなり、ずっと探しているのだがいまだに出口が見つからぬ。そろそろ力尽きてしまうカモ。