ふう。
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明のころのことでございます。南京斉門の外の臨甸寺の若い僧が死にましたのじゃ。
僧はまだ年二十余り、五年も謎の病に苦しんでの死であったそうでございます。
僧少而美姿貌、性又淳謹。其師痛惜之。
僧わかくして美姿貌あり、性また淳にして謹。その師これを痛惜す。
僧はまだ若く、そして、美しい顔かたちでありました。性格が純粋で謹直であったこともあるのでしょうが、師匠の彼の死を悲しみ惜しむこと、ひとかたならぬものがあった。
まるで、恋する人を喪ったような悲しみ方、であったそうでございます。
まあ、お寺衆のことですから、そういう関係があったとて何の不思議もございません。不思議であったのはその後のことじゃった。
師僧は死者を哀惜することひとからならず、厚く礼を加えて葬儀を行った。このため、その遺体を荼毘に付するときにも、何百というお寺の関係者が集まって、盛大に読経の声をあげたのである。
と、
及荼毘火方熾、忽爆響一声。
荼毘の火まさに熾んならんとするに及びて、たちまち爆響一声せり。
火葬の火が燃え上がり、天をも焦がさんとするようになったとき、突然、何かが破裂する爆発音が轟いたのだった。
火の中で、
僧腹裂。
僧の腹裂けたり。
僧の遺骸の腹が破裂したのだ。
その腹の中には、
有一胞、胞破出一人、長数寸。面目肢体眉髪無不畢具、美鬚蔚然垂腹。
一胞あり、胞破れて一人、長数寸なるを出だす。面目・肢体・眉髪畢具せざる無く、美鬚蔚然として腹に垂る。
ひとつ、袋が入っていた。その袋が破れて、その中から数寸(10センチぐらい)の人が出てきたのだ。このひと、顏・目鼻、手足、眉・髪、すべてきちんとそなわっており、くろぐろとしたヒゲがたっぷりと、その裸の腹にかかるほどに延びていた。
その人、火の中でしばらくもがいていたが、盛大な読経の響くうちに、やがて炎の中に崩れ落ちて、僧の亡骸とともに燃え尽きてしまった。
観者駭異。
観者異として駭(おどろ)けり。
見ていた者は、その不思議に驚いた。
のだそうでございます。
師僧の親しくしていた医師・陸度(←わたくしの親族)が葬儀に参加していて、この目で見たことじゃ、と教えてくれたのであった。
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明・陸粲「庚巳編」巻四より。
しかし、このHPを御訪問いただいている方々には、あまり不思議な話ではありますまい。いにしえより、人間の身体の中から小さい人間が出てくる怪異(「ピノコ現象」)の記録はあまりにも多い(双生児の一方がもう一方の身体に入ってしまっていたものと想像される)。ので、肝冷斎などはもう飽きた。
ああ、飽きた、飽きた。
ああ、イヤだ、イヤだ。
イヤだ、と言えば、実生活でもまたイヤ〜な感じがしてきはじめました。のどの奥から、鉛のようなものが少しづつ湧いてくる感じ(放射能ではなく)。うちゅうちゅ時代に入るのでしょうか。表の重荷でいつ入ってもおかしくないが。いい方に考えれば、季節が変わり始めているのかも。季節の変わるときはいつも辛くなるので。