今日は今年で一番寒い日、ということになるんじゃないですかね。・・・もうそろそろ春が来るだろうから。
寒い街中を夕暮れに家路に急いでいまちたら、
「これこれ待ちなちゃれい」
と、子どもの坊主に呼び止められた。
おいらも子ども儒者なので
「なんでちゅかな」
と偉そうにしながら振り向きまちた。
子どもの坊主いうようには、
「おまえさんは見どころがありまちゅから、ありがたい話を聞かせてあげまちょう」
「おお」
おいらは見どころがあると誉められまちたので、気分よく
「ありがたい話を聞かせていただきまちゅよー」
と答えたのでありまちた。
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ある深い森の中に獣王の獅子が住んでおりましたのじゃ。
獅子清旦初出窟時、四向顧望奮迅三吼。
獅子、清旦に初めて窟を出づるの時、四向顧望して奮迅三吼す。
獅子は、毎朝、清らかな森の空気の中、巣穴の岩窟から出てくると、いつも、四方をぐるりと見回し、それから続けざまに三回、吼えるのであった。
獅子の吼え声は森を揺るがし、森中のドウブツたちを目覚めさせ、朝の空気までが引き裂かれたかのように、木々の枝の間から明るい朝日がさしこんでくる。
それから獅子は自分の領域となっている森の中をぐるりと歩き回り、途中で新鮮な肉を獲て、おもむろに食らうのである。
そして、
食已還林。
食已みて、林に還る。
食べ終えると、ゆっくりと住処の森の奥に帰ってくる。
これが毎朝のことでありました。
さて。
その獅子が住処に帰って行くと、食べ残された肉をあさりに、一匹の野干(ジャッカル)が現れた。
ジャッカルは食べ残しの肉を食うと、
気力充足。
気力充足す。
気力が体中に充満いたしました。
そして、
「このおれほどのドウブツが、あの獅子に劣っているわけがなかろう」
と言いだした。
「よし、おれも明日から、毎朝、清らかな森の空気の中、巣穴の岩窟から出てきて、四方をぐるりと見回し、それから続けざまに三回、吼えてやろう」
そこで、彼はその日のうちに獅子のいない森に行って、岩窟を見つけてもぐりこんだ。
翌朝、
清旦出窟奮迅三吼。
清旦出窟して奮迅三吼す。
清らかな朝の空気の中、岩窟を出て、続けざまに三回、吼えた。
しかしながら、
欲学獅子吼而作野干鳴。
獅子吼を学ばんとして、野干の鳴を作す。
獅子を真似て三回吼えたのだが、その声はジャッカルの鳴き声でしかなかったのである。
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「ということで、ひとにはみな分がありまちゅ。自分にできないことを背伸びしてやってはいけない、ということでちゅよ〜」
「なるほどでちゅ〜。おいらたちはたいへんな智慧があるので大丈夫でちゅが、世間のみなちゃんは気をつけてね〜」
と、おいらたちは、たいへん意気投合したのであった。
なお、このお話は「長阿含経」に書いてあるのだそうです、と明の徐元太、字・汝賢が編纂した「喩林」(古典の中からうまいたとえ話を集めてきた本)の巻五十九に収められていまちゅ。
それにしても今日は寒いですね。昼間は埼玉県比企郡小川町に行き埼玉県伝統工芸会館で日本各地のだるま見てきた。不気味さにおいて、神奈川の「金目だるま」にまさるものはなかったです。夢に出てくるかも。