寒いす。本格的にインフルエンザだか風邪だか引いたみたいです。
そういえば、今日は旧正月ですね。わしもこれで数えで・・・あれ、いくつになったのじゃ?
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大聖人・孔子さまのことでございますが、
孔子行年五十有一而不聞道。
孔子、行年五十有一にして道を聞かず。
孔子さまは年五十一歳になるまで、「まことの道」について誰からも教えを受けていなかった。
乃南之沛見老聃。
すなわち南のかた沛に之(ゆ)きて老聃に見(まみ)ゆ。
そこで、南の沛の地に行って、賢者・老聃に面会してみた。
老聃は言うた。
「孔丘よ、おまえさんは、北方の賢者として名高いが、「まことの道」について何かわしに告げるべきことがあって来たのかな?」
孔子は答えた。
「いや、そうではございません。
未得也。
いまだ得ざるなり。
わたしはそれを、まだ自分のものにしていないのですから」
「うほほー。おまえはいったい、この年になるまで、「まことの道」がどこにあると思って探し回っていたのかな?」
吾求之于度数。
われ、これを度数に求む。
「わたしは、はじめ、「まことの道」を制度や法令にあるのではないかと思い、探してみました。
しかし、五年学んで、そこには道は無いことに気づきました。
「それでどうしたのじゃな?」
吾求之于陰陽。
吾、これを陰陽に求む。
「わたしは、次に陰陽の仕組み、自然の理法の中にあるのではないかと思うて、探してみました。
しかし、今に至るまで十二年になりますが、ここにも道は無いと考えるに至りました」
「うほほー」
老聃はにやにやと笑い、
然。
然り。
「そうじゃろう、そうじゃろう」
と言うのであった。
「だっておまえさん、道というのはなあ・・・」 (続く)
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クスリ(※)のせいか眠くてかなわんのです。今日はこれでお別れしましょう。「荘子」天運篇より。それにして、知命の年(五十歳)を過ぎていながら、道について人に聴かねば何もわからないとは、孔子さまも情けないことでございますなあ。
※ただの風邪薬ですよ。「すごくいいクスリ」ではありませんので、念のため。