昨日はびっくりしました。朝起きたらあたまぐるぐるしてもう死ぬんかと思いましたが、こんなに気持ちいいんならまあいいかとも思いました。夕方まで寝ていたらだいたいふつうになりましたが、ちょっとだけだが人生観変わった。なお、しごとはどたきゃん。
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人生観が変わりましたので、いつもの漢文口調はやめまして、純日本風にまいりますヨ。
ハァー 朝もはよからヨー カンテラ下げて ナイ
坑内まわるもヨー ドント 國のためヨ
ア ヤロヤッタナ アンペラシイテ ヤッタナ デエコンパデフイタナー
「常磐炭坑節」である。囃しの部分がもしも次のように聞こえたとしたら、あなたはすでにかなり来ているのである。
あ 野郎やったな アンペラ敷いてやったな 大根の葉で拭いたな
以下、次のように続く。
ハァー 竪坑三千尺ヨー 降れば地獄 ナイ
ハッパどんとくりゃヨー ドント 若後家だヨ (囃し略)
ハァー おらも見た見たヨー 選炭場のかげで ナイ
あねご帯ときゃヨー ドント のしかかるヨ (囃し略)
ハァー ひとのおかかとヨー 枯れ木の枝は ナイ
ちょっと乗るのもヨー ドント 命がけヨ (囃し略)
おお、おそろしいことである。
ところで、「ヨサホイ節」というのは大正十三年、広島の演歌師・秋月四郎が歌うて全国に広まったものらしいが、初めの形は、
これが別れか ヨサホイホイ
ひとりさびしく残るのは ホイ
わたしゃ死ぬよりまだ辛い ヨサホイホイ
という抒情あふれる「流行歌」だったのだそうであるが、これが「ヨサホイ」と「ホイ」の間に「ノ」が入ると一気に「春歌」となったのであった。
一つと出た出た ヨサホイノホイ
一人むすめと は、ホイ
親の承諾得にゃならぬ ヨサホイノホイ (以下、十まで略)
ところで、このシリーズに、
一 人見絹江 (陸上競技)
二 伏見直江 (剣劇)
三 三浦環 (歌曲)
四 与謝野晶子
五 石井小浪
六 村田嘉久子
七 不明
八 山川菊枝
九 九条武子
十 不明
というのがあるそうである。それぞれどんな人なのか、ウィキペディアで調べてみてください。
さてあるいはまた、・・・とこんな話ばかりしていると「なんだ、あいつは」と誹謗されダンアツされますから、このあたりにしておきます。以上、添田知道「日本春歌考」(光文社1966)より。
まあ、どうせ匿名HPだから好きなように謗り、お笑いいただければよいのでございますが。
謗者任爾謗 謗る者は爾の謗るに任せ、
嗤者任爾嗤。 嗤う者は爾の嗤うに任せん。
天公本知我 天公もと我を知れり、
不覓他人知。 他人の知るを覓(もと)めず。
そしるひとがいるのなら、おまえさん、好きなようにそしりなさいませ。
わらうひとがいるのなら、おまえさん、好きなようにわらいなさいませよ。
天なる主宰者はわしのまことを知ってくださっているのだから、
ほかの誰かに知られたいなどと求めることがあるだろうか。
これは、佐久間象山の「漫述」詩である。
好きなように謗り、嗤え、と言ってたら、象山先生は天治元年(1864)七月、京都で攘夷派に暗殺されちゃったんです。ハハ、ノンキだね〜。