いやになっております。しかも明日は普段より二時間早く来い、というのだ。
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善人というのは孔子たち聖人の道に則って生きていくものですが、悪人は盗人の道に則って生きていくのだそうです。
ところで、
天下之善人少、而不善人多、則聖人之利天下也少、而害天下也多。
天下の善人少なく、而して不善人多し、すなわち聖人の天下を利するや少なく、しかして天下を害するや多し。
天下に善人は少ない。不善人の方は多い。ということは、聖人が天下に利益を与える量はかなり少ないのである。逆に、聖人のやり方に従おうとしないものが多数であるから、聖人がいると天下に害がある、とさえいえよう。
だから賢者たちは曰うのである、
唇竭則歯寒、魯酒薄而邯鄲囲、聖人生而大盗起。
唇竭(つ)きて歯寒く、魯酒薄くして邯鄲囲まれ、聖人生じて大盗起こる、と。
くちびるが無くなると(くちびると歯は別のものだが)歯が寒くなる。
むかし、楚の宣王が会合を催したとき、魯の恭公は遅刻し、また、献上した酒が薄くてまずかった。このため、激怒した宣王は魯を攻めた。さて、梁(魏)の恵王は以前から趙を攻めようと謀っていたが、趙が楚と同盟を結んでいたのでなかなか攻めることができなかった。このたび、楚が魯を攻めたので、この機会に梁恵王は兵を発して趙を攻め、その都・邯鄲を包囲した。
―――これらのよう、あることが直接関係無いように見えることに影響を及ぼすことがある。しかし、よくよく考察するとそこには立派な関係があるのだ。
聖人が世に出ると、大悪人が出現する、というのもそうである。
聖人を叩きのめし、盗賊に好き放題にさせよ。それが天下の治まる近道なのだ。
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「荘子」胠篋篇より。「聖人生じて大盗起こる」はともかく、「唇竭きて歯寒し」「魯酒薄くして邯鄲囲まる」は覚えておきましょうね。
わしがいつまでもいい子ちゃんの善人のふりをしていても天下のためにはならないようですので、そろそろデカいこと起こすか。