平成23年11月30日(水) 目次へ 前回に戻る
まだ水曜日かあ・・・。
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今日は友人の江馬正人(※)が、美濃から帰ってきてわたしの家を訪問してくれた。美濃はわたしの郷里である。
※天江と号す。近江のひと。下阪篁斎の子、江馬榴園の養子となり、江馬氏を嗣ぐ。詩を梁川星巌に、蘭医学を緒方洪庵に学んだ。明治34年(1901)卒。七十七歳。
わたしは問うた。
彼地人才多歟。
彼の地には人才は多きか。
「どうだね、(わたしの郷里である)美濃には立派なやつはおったかな?」
天江答えて曰く、
無多矣。
多きこと無し。
「あんまり立派なやつは見かけなかったな」
「ふうん・・・。
山水美歟。
山水は美なるか。
それでは、風景はどうであったかな?」
美矣。
美なるかな。
「すばらしかったなあ」
有山水之美、何以帰歟。
山水の美あり、何を以て帰るか。
「風景がすばらしかったのなら、どうして東京になんか戻ってきたのだね?」
天江は莞爾として曰く、
無可与語之人。
ともに語るべきの人無し。
「きみが美濃から東京に出てきているからな。美濃にはもう、きみのように、ともに語るべきひとがいなかったからだよ」
そこで二人顔を見合わせて、大笑いした。
「あっはっはっはっは」
「かっかっかっかっかあ」
・・・・・・・・・以下、日本文だけで行きます。
「それはそうと・・・」
と、天江はふところより一個の包みを取り出して、机上に広げた。
「あのすばらしい風景を思い出させてくれるステキな石を手に入れてきたのだ。この石を得たから、ぼくはもう美濃には用が無い、と思って東京に戻ってきたのさ」
その石の名を曰く
袖雲
「きみは、美濃のひとだ。美濃の地形や山水をよく知っていると思う。そこで、きみにこの石について解説してもらおうと思って、持ってきた」
さて。
これをつらつら見るに、縦は三寸(10センチ)、幅はその半分ぐらい。起伏激しく、折り重なるようで、小さいくせに峰々が群がっているようだ。白い筋目が幾本か、その間を縫い上げるように走っている。まるで峰から落ちてきた瀧が、小川をなして平原を流れていくのかと見えた。
あるいは洞窟かと見えるへこみがあり、あるいは懸橋かと見える刻みがある。その数を数えはじめたら、目の前がくらくらしてきて、まるで幻の山に彷徨いこんだようである。
しばらく茫然としていたが、やがて座りなおして、見つめなおすと、やはり峰・峠・洞・谷が現れ、そこから次々と雲が起こり霧がたなびきはじめる―――。
美濃の國の全貌を論ずれば、國の北端には金生山がある。この石はおそらくその山の産であろう。そこから山並みは西に向かい、一本の白絹のように伊吹まで続く。伊吹に至る前に一回だけ断ち切られるが、これを断ち切っているのが養老の瀧だ。その東にのっそりと立ち上がっているのが金華山だ。
それらの山をめぐり、平野をうがち、へびのようにうねりながら別れては合わさり流れていくのは、岐蘇(きそ)と鳳皇や呂久の川である。
わたしの故郷も、その山々の中にある。
・・・帰ろうか。
わたしの中で、わたしが語りかけてきた。
・・・もう少し待ってくれ。まだ、帰れないのだ・・・。
わたしの中で、わたしが、力なく答えている。
ああ。
この石は小さいではないか。しかし、その中に数百里の広がりが隠されているのだ。
袖の雲、というだけでは足らぬ、袖の美濃、そのものである。
わたしは、ようやく自分に還ると、目の前にいる天江を見た。
「きみは、ひどいひとだな」
「?」
天江は面食らったようだ。
「どういうことだ?」
「世界の造り主がこの石に、世界の秘密をいくつも籠めた。それを持ってきて、わたしに見せつけたのだからな」
天江はにっこり笑い、
「そうか。ありがとう、すばらしい解説を聞かせてもらった」
言い終えると、その雲のような石をふところに戻していそいそと自分の家に帰って行った。
天江よ。きみが帰ったあとの無聊の中で、このことを文章にしてみた。一部写してきみに送る。
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と、言っているのは、美濃のひと、神山述くん(※※)でした。(神山鳳陽「袖雲石記」(「明治新選・続今世名家文鈔」巻二所収)より。)
・・・今日はおそらく、明治八年ごろではないかな。明治のひとは、こんなことを漢文で書いていたのだな。
※※鳳陽と号す。美濃のひと。その師承は判然しないが、詩と書をよくした。明治23年(1890)卒。六十七歳と伝う。