おいら、二世肝冷斎が町を歩いていますと、向こうの方から杖をひきずったみすぼらしいじじいが来た。
あれは郊外の漆園の管理人をしている荘周のじじいでちゅね。
普段からホラみたいなものばかり吹いているじじいでちゅから、ちょっととっちめてやりまちょう。
「荘周おじいたま、こんにちは」
おいらは子供っぽく声をかけた。
「おお、二世肝冷斎くんか、元気かのう」
しめしめ。じじいはおいらの本心に気づかず、おいらが善良な童子のつもりでいるようでちゅ。よし、じじいにまたホラを吹かせて、その荒唐無稽なるを人前にて嘲笑ってやることにちまちゅ。
「ねえねえ、おじいたま、何かホラ・・・いや、寓話を聞かせてくだちゃいな」
おいらは子どもが昔話でもねだるように言った。
「おうおう、そうか、ホラ・・・いや、寓話をのう。よし、それでは、がつん、と勉強になるやつを教えてやろう。
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「論語」にもございますように、孔子は陳蔡の野で包囲され、七日間食べ物が無くて餓えたことがありました。このことを一般に「陳蔡の厄」といいます。
この陳蔡の厄のとき、大公(村の長老)の任(じん)という老人が、腹を減らしている孔子のところにお見舞い(「弔」)にやってきて、あいさつして言うには、
子幾死乎。
子はほとんど死なんか。
「先生は死にかけておられますなあ」
孔子答えて曰く、
然。
しかり。
「そうなのです」
任老人曰く、
子悪死乎。
子は死を悪(にく)むか。
「おやおや、先生は死ぬのがイヤなのですかな?」
孔子答えて曰く、
然。
しかり。
「そうなのです」
任老人はにやにやしながら、
予嘗言不死之道。
予もかつて不死の道を言えり。
「まあ、わしも以前は死なない方法をひとに教えていましたからのう。・・・ (以下、次回以降に続く)
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なんと、このじじいは死なない方法を知っているらしいでちゅよ。
おいらはついついマジメに聞き入ってしまっておりまちた。(←まだまだ子どもでちゅねー)
「荘子・山木篇」より。