平成23年10月8日(土)  目次へ  前回に戻る

 

おいら、二世肝冷斎が町を歩いていますと、向こうの方から杖をひきずったみすぼらしいじじいが来た。

あれは郊外の漆園の管理人をしている荘周のじじいでちゅね。

普段からホラみたいなものばかり吹いているじじいでちゅから、ちょっととっちめてやりまちょう。

「荘周おじいたま、こんにちは」

おいらは子供っぽく声をかけた。

「おお、二世肝冷斎くんか、元気かのう」

しめしめ。じじいはおいらの本心に気づかず、おいらが善良な童子のつもりでいるようでちゅ。よし、じじいにまたホラを吹かせて、その荒唐無稽なるを人前にて嘲笑ってやることにちまちゅ。

「ねえねえ、おじいたま、何かホラ・・・いや、寓話を聞かせてくだちゃいな」

おいらは子どもが昔話でもねだるように言った。

「おうおう、そうか、ホラ・・・いや、寓話をのう。よし、それでは、がつん、と勉強になるやつを教えてやろう。

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「論語」にもございますように、孔子は陳蔡の野で包囲され、七日間食べ物が無くて餓えたことがありました。このことを一般に「陳蔡の厄」といいます。

この陳蔡の厄のとき、大公(村の長老)の任(じん)という老人が、腹を減らしている孔子のところにお見舞い(「弔」)にやってきて、あいさつして言うには、

子幾死乎。

子はほとんど死なんか。

「先生は死にかけておられますなあ」

孔子答えて曰く、

然。

しかり。

「そうなのです」

任老人曰く、

子悪死乎。

子は死を悪(にく)むか。

「おやおや、先生は死ぬのがイヤなのですかな?」

孔子答えて曰く、

然。

しかり。

「そうなのです」

任老人はにやにやしながら、

予嘗言不死之道。

予もかつて不死の道を言えり。

「まあ、わしも以前は死なない方法をひとに教えていましたからのう。・・・ (以下、次回以降に続く)

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なんと、このじじいは死なない方法を知っているらしいでちゅよ。

おいらはついついマジメに聞き入ってしまっておりまちた。(←まだまだ子どもでちゅねー)

「荘子・山木篇」より。

 

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