今日はしごとが退けたあと、猫町行きの電車に乗った。
電鉄線で郊外に出て三つほど行った小さな駅が、猫町駅だ。
―――次が猫町駅だ。
と下車の準備をしたぼくだが、電鉄の小さな車両は、なぜか猫町の駅を素通りし、隣の東○○に直行してしまった。
ボクは東○○の駅で車両を降り、若い駅員に食ってかかった。
「きみ、どうして猫町で停車しないんだい?」
駅員は困ったような顔で答えた。
「あのー――そんな駅はないのですが・・・」
―――!
そうでした。
すいません。
猫町には平日に会社を休んだときしか行けないのです。そんな日の夕方に、ふと電鉄に乗ったときだけ、電車は猫町駅に停車するのだった。
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では、今日もメルヘンチックに。
宝応年間(762〜763)に洛陽に住んだ李某というひと、とてもやさしいひとで、生きものの死ぬのを見るのがたいへんきらいでした。
ために、
家未嘗蓄狸、所以宥鼠之死也。
家にはいまだかつて狸(り)を蓄えず、以てするところ、鼠の死を宥すなり。
その家では、一度もネコを飼うことはありませんでした。なぜなら、ネズミを食い殺されることがないように、と考えたためです。
「狸」は「ネコ」のこと。
そのせいでしょうか、この家はそこそこ富み、立派な跡継ぎもできました。
その李某の孫の時代のときのことでございます。
この孫も、祖父の意志を継いで、ネコを飼うことはありませんでした。
そのさらに息子がヨメをもらうことになり、李家では親類や縁者、友人らを呼んで、食堂で大いに宴会をすることになりました。
その宴会のさいちゅうのことです。
童子たちが
「たいへんでちゅ、だんなさま」
と主人に知らせに来ました。
門外有数百鼠、倶人立、以前足相鼓、如甚喜状。
門外に数百の鼠ありて、ともに人立し、前足を以て相鼓し、甚だ喜ぶ如き状(さま)なり。
「門の外に、数百匹のネズミが集まっておりまちゅ。みなニンゲンのように後ろ足だけで立ち、前足を叩いて音頭をとり、とってもうれしそうにしているのでちゅ!」
「なんだと?」
お客たちはみな珍しがって立ち上がり、門のところまで行ってそれを見物しました。
すべてのお客が見物に出た直後のことです。
堂忽摧圮。
堂、たちまち摧圮(さいひ)す。
食堂が、突然、音を立てて崩れ落ちたのです!
しかし、お客たちはすべて堂から出て門のところにいたので、ひとりもケガをしたものはありませんでした。
そして、
堂既摧、群鼠亦去。
堂既に摧(くだ)くに、群鼠また去れり。
食堂が崩れると、たくさんのネズミはもう用が終わったかのようにどこかに隠れてしまいました。
さて、みなさん。
鼠固微物也。尚能識恩而知報。況人乎。
鼠はもとより微物なり。なおよく恩を識りて報うを知る。いわんや人をや。
ネズミはあんなにちっぽけな生き物ですよ。それなのに、こうやって、受けた恩を恩と理解し、忘れずにお返しをしたのです。ニンゲンも負けてはいられないのではありませんか。
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おお、久しぶりにいい話でしたなあ。キモに命じなければなりませんなあ。唐・張読「宣室志」より。