猫町から手紙が来た。
―――如何お過ごしですか。猫町はもう秋です。涼しい風が吹いてきてござる。どんぐりの貨幣もたくさん採れまして物価も下がりました。また一度遊びに来てください。
しばらく猫町に行ってなかった。そろそろ猫町に行こうと思う。去年と同じステッキに、新しい秋のジャケットを羽織って。
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季節も、職場的にも、だんだんウツってまいりました。今日はメルヘン少年的に。・・・
ぼくの母方のいとこに王于皆というひとがいます。
清真之君子也。下帷攻苦、多沈鬱之思、可与細論文。
清真の君子なり。帷を下して攻苦し、沈鬱の思い多く、ともに細か文に論ずべし。
すがすがしい本当の君子である。カーテンを下してあれこれと思い悩み、沈鬱の心が多いのである。彼となら文学を論じあうことができようというおとこだ。
彼、ある日、
啓扉見、終日跪坐、寂無人声。
扉を啓きて見われ、終日跪坐し、寂として人声無し。
家の戸をあけて外から見えるようにした上で、一日中部屋の中で正座していた。その間、まったく声を出すこともなく声をかける者もいなかった。
「何をしているのだ?」
と訊ねると、
―――君子は誰から見られてもはずかしくない生き方をしなければいけないからね。
と答える。
「それにしても一日中、一言もしゃべらないなんて」
王于皆はにこりと、
―――だって、誰もいないんだもの。
と笑って言った。
ぼくは試みに言うてみた。
「于皆よ―――」
所欲乎富貴者安己耶、住也、坐也、臥也。
富貴を欲するところのものは、己れを安んぜんとするや、住なり、坐なり、臥なり。
「カネと地位を欲しがるのはなにゆえだ? 自分を安楽にしようとするには、住めればよく、坐せればよく、横になれればいいのではないか。
曠己耶、画也、山也、水也。快己耶、茗也、香也。
おのれを曠(むな)しうせんとするや、画なり、山なり、水なり。おのれを快ようせんとするや、茗なり、香なり。
自分の心をひろびろとさせようとすれば、画を描き、山を観、水を見ればいいのではないか。自分をキモチよくしようとすれば、茶があるではないか、お香があるではないか。
之三者、今有余矣。何欲。
この三者、今あまりあり。何を欲せんや。
以上の三つのものについては、君はもう十分持っているだろう? これ以上何を欲しがるのだ?」
すると、于皆はにこやかに答えたのである。
所悪乎貧賤者、車馬稀也、語言無味也、漠漠然不足緩急恃也。
貧賤を悪むところのものは、車馬まれなればなり、語言味わい無きなり、漠漠然として緩急の恃むところ足らざるなり。
「貧乏で身分が低いのがイヤなのは、車や馬に乗ったお客が来なくなるから? 言葉がすさんでしまうから? 将来に不安で、何かことが起こったときに困窮するから?
ぼくはすべて持っているからね。こうやってきみが来てくれるし、きみと語り合っていたら言葉がすさんでしまうということはないし、何かあったらいとこたちに相談すればいいんだからね」
こうして、わたしたちは顔を見合わせて大笑いしたものであった。
ところで、その于皆が職を求めて旅立つという。
ぼくたちもいつの間にかおとなになったのだ。
そこでぼくは、きみにはなむけの言葉を贈ろうと思う。
清風明月、不用一銭買。
清風明月、一銭の買うを用いず。
清らかな風、明るい月。これらを買うには一銭のお金も要らないのだ。
これは蘇東坡が「古人の言」として伝えているものだ。(←※)
精神にとってほんとうに必要なものは、おカネで買うものじゃない。おカネが無くても、ふと気づいたら、おてんとうさまが必ずきみのために用意してくれているものなのだ。
だから、逆に、手に入れられる、と思って、手に入れられるだけモノを取ってはいけないよ。
ぼくらはこの村にいるとき、
常坐千梅花、萬荷花。
常に千の梅花、萬の荷花に坐す。
いつも千の梅の花と一万のハスの花の中に座っているような暮らしをしていた。
これは何物も自分のモノにしていないから、すべての物が自分のモノになったからなんだ。ぼくはこの村に残るから、これらのモノをこれからも自分のモノにしていける。まあ、そんなに恵まれているもんだから、逆に、おてんとうさまはぼくに出世の道はあんまり用意してくれてないみたいだけどね。
明の儒者・陳白沙(表紙に戻って「明儒学案」のコーナーを参照ください)は一生ひとから施し物は受けまいと誓い、そのように生きた。そのために、いろんなひとの好意を無にしてしまったという。
夫不受人供養難、不受天之供養更難。
それ、人の供養を受けざるも難きに、天の供養を受けざるはさらに難からん。
ああ。ニンゲンの施しを受けないようにするだけでもそんなに難しいというのに、おてんとうさまからの施しを受けないようにするのはもっと難しかろうよ。
それでも、きみは、これ以上取ってはいけないモノを取ってはいけないのだよ。
于皆一行作吏、尚命為儒。
于皆、ひとたび行きて吏と作り、命を尚(たっと)びて儒と為れ。
于皆よ。これからきみは旅立って、お役人になるという。天命をたっとぶまことの儒者として生きてくれ。
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明・陳明卿「王于皆集序」(「晩明二十家小品」所収)より。みなさまの心にも何かの役に立ちましたらいいかな、と思いましたが、ダメかなあ。「清風明月、買うに一銭を用いず」は有名な言葉だから知識として覚えておいてください。いつか役に立つことでしょう。
さて、明日は猫町に行こう―――と思ったら、今日で休み終わり、明日から会社だった! だいたい、まともに出かけるための服なんか無いんです。わたくし。
※=ほんとうかどうか現在調査中。