平成23年9月17日(土)  目次へ  前回に戻る

 

本日は富山に来ました。ニホン海に逝ってしまおうと思ったのだ。しかし今のところ踏みとどまって、白えびの天ぷらとかそんなの食べました。

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17世紀後半、延宝〜元禄のころ活躍した禅・浄併修の肥後の名僧、瑞龍鉄眼が、罪深い女人にも仏道の神髄を伝えんものと、般若心経の「色即是空空即是色、受想行識亦復如是」の十六文字について解き明かした説法の講義録―――が、「鉄眼禅師仮字法語」(てつげんぜんじかなほうご)でございます。

○へつらふもくるしみなれば、おごるもげにくるしきわざ、こひしきも苦なれば、うらめしきもまた苦なり。

○むほんなどをたくまんと、おもひいだす最初の一念は、たばこのけふりなどのごとくにして、きはめてかすかなる、ただ一念の妄想なり。

○たとひおもひかさねたる妄想なり共、はらさんとおもひて、おもひすつる時は、日の出て闇のはるゝがごとく、さらに造作はなきものなり。これを千年の暗室にともしびをともすにたとへたり。やみひさしとてもともし火をともす時、はれがたきものにはあらず。

そのほか、心に沁みいるお言葉ありがたし。特に三番目のやつは、「まだ遅くはないのだ」と励まされた。

ようし、わしも、無明長夜にけじめをつけるべくがんばるぞ。・・・しかし今日は白えびとかますずしとか食べてしまったので、がんばるのは明日、いや、明日以降から、にします。

禅師の「三面大黒天」の画に賛して曰く、

三面看来只一面、  三面も看来せばただ一面、

怡然示現地天間。  怡然として示現す、地天の間。

一三三一渾無礙、  一は三 三は一にしてすべて無礙、

福海漫漫聳寿山。  福海漫漫として寿山を聳やかす。

怒り・笑い・泣くの三つの顔を持つ大黒さまの画像であるが、よくよく見ればお顔は一つ。

にっこり笑顔を大地と天上の間にお示ししておられる。

一が三に分かれ、三が一に統合されるのじゃ。その間には何のさまたげもない。

幸福の海はのたりのたりとうねくり、その向こうには長生き山がそびえているのう。

「ひとりはみんなのため、みんなはひとりのため」というスワローズのスローガン(え? もっと古い典拠があるの?)を先取りしたような言葉がありますが、まったく違うことを言ってますからね。

苦悩せしめ憤怒するも、すべてこれ衆生済度のはからいのためなり。

ちなみに本日は富山平野までやきうを観に来たのですが、雨天中止。憤怒し歎き哭したが、富山民俗村(民俗資料館、売薬資料館、考古資料館、篁牛人記念館などの複合せるもの)、越後万葉館を踏査し、雨晴海岸のなんたるかを観察した。また、ハットリくんの町・氷見にも足迹を記し得た。ので、越後万葉館はひどかったが、しかしまあいいや、ということで、一応にっこり笑顔で一日を終えつつあります。

 

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