本日は特段にお暑うございました。頭ががんがんします。夕方、府中の方に行ってたら、どこか遠いところで花火の音がした。そろそろ関東はお盆が近づいてまいりましたなあ。
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斎梅麓先生が自らおっしゃるには、
「幼いころ、夏祭りの晩に同じ年頃の友人たち数人と出かけて、ふと人気のない林の闇の中に入り込んだことがありました。
突然、さきほどまで一緒だった友人たちの姿が見えなくなってしまったが、遠くの祭りの囃子の音などは聞こえてきたから、わたしは不安には思わなかった。
ようやく闇に目が慣れたころ、すう―――と、目の前のごつごつした梅の木の陰から、人影が現れた。
有表叔某者没数年矣。
表叔某なる者あり、没して数年なり。
わたしには母方の叔父で、その数年前に亡くなったひとがあった。
が、そこに現れたのは、まさにそのひとであった。生前それほど仲が良かった、というわけではなかったが、時折わたしども子どもたちにおどけた話をしてくれたのを覚えている。
子ども心にも「このひとはもう亡くなっているはずだ」という思いはあったが、だからといって怖いといった感情はわかなかった。
叔父は、わたしの傍まで来て、
遂執手。
ついに手を執る。
やがて、わたしの手を握った。
おじの手は生きているひとのように温かった。
おじはわたしに自分の家族のことを訊ね、それから一族のひとびとの安否を問うた。
わたしは言葉を発しなかったが、おじはわたしの心に浮かぶことが言葉で聞くようにわかるようで、頷いたり驚いたりしていた。
移時而去。
時を移して去れり。
しばらくして、おじはわたしの手を放すと、目礼して梅の木陰に消えてしまった。
―――そのときになってわたしは、もう祭囃子が聞えなくなっているのに気づいた。そして、ほとんど同時に、
「彦槐さま!」
とわたしを呼ぶ声に振り向くと、暗闇の中に灯りがかざされている。
「あい、彦槐はここにおりまちゅるう」
と答えると、さっと視界が開けて、灯りの中に使用人頭の鄭じいさんの顔が見えた。
鄭じいさんはうれしそうに
「ああ、ここにおられましたか、彦槐さま」
とわたしに向かってほほ笑んだものであった―――。
聞いてみると、わたしは宵のうちに姿が見えなくなってしまい、
友人相呼欲返、遍尋不見。
友人あい呼んで返さんと欲するも、遍尋すれども見えず。
友人たちが呼びかけて一緒に帰ろうとあちこちを探したが、どこにも見つからなくなっていた。
のだそうだ。
そこで、家中で
点灯招之。
灯を点じてこれを招く。
あかりを持って、探し回っていた。
のだということであった。
「まったく、夏祭りどころではございませんでしたよ」
鄭じいさんはわしをおぶってくれながら、文句を言った。やけに大きな月が、鄭じいさんの背中越しに見えた。
それから家に帰って、おやじとおふくろからそれぞれ大目玉をくらったはずだが、そのことはもう覚えていない。
―――翌年、叔父の家は破産し、家族も離散してしまった。もうその位牌を守る子孫も絶え果ててしまったが、
「ほら」
先生がそこで言葉を切ったので、わたしたちは自然に耳を澄ますかたちになった。
「聞こえますでしょう。・・・あの夏祭りの囃子の音を聞くと、わたしは今でもあの叔父の顔と、あの手の温もりを思い出すのですよ」
わたしたちも先生と同じように、書斎の窗から木陰越しに村の方を見やった。
夏の長い日もようやく暮れかけて、村のお廟のあたりから楽しげなお囃子が聞こえ始めてきている。今宵は夏祭りの夜である。
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「履園叢話」巻十五より。斎梅麓先生は嘉慶十四年(1809)の進士で、長く翰林にあったひとであるという。
かように、あちら側とこちら側は行き来できるものなのですよ。さて、みなさん、わたくし(肝冷斎)はどちら側の存在であるか、ご存じですかな?
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