今日は上州に行ってました。
利根川を渡るときには、「はるかに一掬の涙を伝え、我がために東京(トンキン)に達せよ」と口ずさんで機嫌よかった・・・のですが、日帰りでもう帰京。明日はまた仮面を着けて会社に行かねば・・・。
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しかし、実のところ、
可与人言無二三、魚自知水寒水暖。
人と言うべきことは二三も無し、魚は自から水の寒きと水の暖かきを知る。
誰かと言葉を交わす必要があるのは、ほんの二、三のことがらだけじゃ。魚を見てみるがいいぞ。あれは、何の言葉も交わさなくても、水が冷たいか温みはじめたか、よく知っておる。
そして、
不得意事常八九、春不管花落花開。
意を得ざることは常に八九なり、春は花の落つると花の開くとを管せず。
思いどおりにいかないことが、十のうちの八、九に及ぶのが常じゃ。思ってもみるがいいぞ。花が落ちることも、花が開くことも、春の意志とは関わりない、ということを。
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「小窗自紀」第94則より。
区々たるわしのようなニンゲンが悩む必要はないのだ。わしがきちんとやろうが手抜きでやろうが、すべては勝手に進んでいく。みたい。それでも「存在」だけはしておかないとなあ。「傀儡人形」とか言っているけど、わしの財力では性能の悪いのを二三体持っているのがやっとだしなあ。