花粉症類似の症状を呈しており、目が開かない。痛くてかゆいんです。これはおもてのしごとはもう無理だ。
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今日は目が痛くてしようがない。ので、「幽夢影」「十恨」より六恨以降を挙げてみます。
六恨:竹多落葉。(竹に落葉多し。)
第六に残念なことは、竹には青々と茂っている期間は短く、葉の無い期間が長い、ということだ。
青青蒼竹総是法身。(青々たる蒼竹はすべてこれ法身。)
鬱鬱黄華莫非般若。(鬱々たる黄華は般若にあらざるなし。)
とは誰の偈か忘れましたが、要するに世界はそのままで真如なることをいう。「法身」は仏を仏たらしむる本体をいい、「般若」は広大無辺の真の智慧をいうなり。
青々とした翠の竹はそのまま宇宙の根源なり。
においやかな黄色い花はまことの智慧そのものじゃ。
ありがたいことである。
七恨:桂荷易謝。(桂・荷は謝(しぼ)みやすし。)
第七に残念なことは、香ぐわしい桂の花やハスの花は開いたと思ったらすぐにしぼんでしまうことだ。
青春の過ぎやすきにも譬えられるであろう。
八恨:薛羅蔵虺。(薛羅(せつら)には虺(き)を蔵す。)
第八に残念なことは、ツタのからまる陰には、よくマムシがいる、ということだ。
「虺」(キ)は「まむし」。
九恨:架花生刺。(架花には刺を生ず。)
第九に残念なことは、つるをまつわりつかせて育てた花に、トゲが生じてくることである。
この「花」は、いわゆる(幼いころから面倒みた「手活けの花」というやつでげすかね。ぐへへへ。と、ゲスの勘繰りをする必要はなく、文化人は花を育てていることが多いので、実感でありましょう。
さて、最後の第十恨は?
十恨:河豚多毒。(河豚に毒多し。)
第十に残念なことは、フグは(美味だが)毒を持っている、ということだ。
第十でやっと食べ物のことになって、わたしどもにもよくわかった。
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心斎・張潮が「幽夢影」に以上の「十恨」を書きつけますと、わらわらと文人仲間が集まってきて、自分勝手に感想(「評語」)を述べた。
まず江藡庵が昨日の第五恨にかこつけていう、
黄山松併無大蟻、可以不恨。
黄山の松には併せて大蟻無し、以て恨みざるべき。
安徽の黄山は天下の名勝で、松も見事でござるが、大アリがいるとは聴きませぬ。これならちっと残念なことはないのでは?
すると張竹坡がいう、
安得諸恨物尽有黄山乎。
いずくんぞ諸ろもろの恨物にことごとく黄山あるを得んや。
松だけでなく書嚢、夏夜、月見の楼台、菊、竹、桂・ハス、ツタ、花、フグ、すべての「残念なもの」に黄山があればいいのだけどね。
ほかにもいくつか意見があったが、やがて石天外がいう、
予別有二恨。
予には別に二恨あり。
わしにはこれ以外に二つ、残念なことがある。
「ほう、なるほど」「それはいったい何でござるか?」「ござるかござるか?」
石天外のおもむろに曰く、
一曰才子無行、二曰佳人薄命。
一に曰く才子行無し、二に曰く佳人命薄し。
その1は、才能のあるやつには常識がないこと、その2は素敵な女性には幸運が訪れないこと、だ。
「や、や、これはこれは」「よう言うてのけたわい」「わいわい」
この二つを合わせて「人生十二恨」とも申します。
おしまいでございます。