今日も美味い肉食ってきた。そのほか、南部せんべいが岩手の名物であること、南部藩の南部は甲斐の南の方だから南部という名前になったということも知ることができた。
いやー、いい日だったなあ・・・しかし、そのよい気分も夜になって一気に吹き飛んだのです。
人心難測、海水難量。(巻二十)
人心測りがたく、海水量りがたし。
ひとの心は知りがたい、海の水の総量が知りがたいように。
と申しますところの海水。これを1000トンぐらいぶちこんだのに冠水しない。まともなひとはみんな「おかしい」と言っていたのに、今日になって「穴があいてました」「燃料棒溶融してました」というのである。穴があいたり燃料棒溶融してたのは問題ですが、どうしてしろうとでも「その可能性がある」と思っていたことを、今まで隠していたといいますか、気づかないふりをしていたのか。
真是才子佳人、情味相投、楽不可言、却是好物不堅牢、自有散場時節。(巻十七)
真にこれ才子と佳人、情味あい投じ、楽しきこと言うべからざるも、かえってこれ好物は堅牢ならず、おのずから散場時節あり。
ほんとうにお似合いの才子と佳人のカップルで、心もぴったり。こんななら言葉にできないほど楽しいだろうが、しかし、「よいことは堅牢ではない」ので、やがて別れのときがくるのだ。
と申しますとおり、どんなものでも壊れるのが常態でありますのに。
しかも、燃料棒はほとんど溶融しているといっても、
瘦駱駝尚有千斤肉。(巻二十二)
瘦駱駝といえどもなお千斤の肉あり。
瘦せたラクダであっても、千斤(600キログラム)ぐらいの肉はあるのだ。
と申しますように、まだ、ぷしゅう、ぷしゅう、とアレを放射しているのである。
こんなのが少なくともまだ2号機、3号機とあり、3号機は熱を発しているのである。
まことに
福無双至、禍不単行。(巻二十一)
福は双(なら)び至る無く、禍いは単行せず。
よいことは続けてくることは無く、悪いことは一つだけでくることは無い。
というとおりである。
大阪万博のころは、二十一世紀の原子力の世の中になれば、歩かなくても歩道が動いてくれ、働かなくても食べていけるようになる、と思っていたのに・・・。
夢是反的、夢福得禍、夢笑得哭。(巻十九)※
夢はこれ反的なり、福を夢みれば禍を得、笑いを夢みれば哭を得る。
夢は反対になるものだ。幸いを夢見れば禍いが来る。笑いながら生きたいと夢見れば、泣きながら生きなければならなくなる。
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文中引用はすべて「二刻拍案驚奇」より。
「二刻拍案驚奇」は「机を叩いてびっくりするようなローマンス、第二版」というような意味になるかと思いますが、四十巻。明末・崇禎壬申年(1632)の睡郷居士(←すごいかっこいい名前だなあ)の序文を有し、当時流布していたらしい四十篇の短編小説を編集したもの。現在残る最も完全な本はニホン国の国立公文書館本で、北京にあるものは23巻〜30巻を欠くという。
たとえば上の※印の「巻十九」をみますと、
田舎翁時時経理、牧童児夜夜尊栄。
(田舎のじじいは毎日事業を経営し、牛飼いのこどもは毎晩尊貴の夢を見る)
という題でありまして、春秋時代の魯の国のこと、ある富豪の老人(莫という姓であったと伝わる)が何頭もウシを飼っていた。その家に牛飼いわらわがおり、彼は教育も無く文字を知らなかったが、あるとき道士で出会い、五字から成る呪文を教えてもらった。眠る前にこの呪文を唱えるとよい夢を見ることができる、という。
牛飼いが呪文を唱えて寝ると、彼は夢の中で科挙官僚となり、花形の職を得、皇女を妻にし、軍を率いて外敵を滅ぼし、ついに侯爵に封じられた。
毎晩その栄華の夢を見るが、朝になると貧しい牛飼いに戻ってつらい労働に従事するのである。
ある日、牛飼いは埋められていた銀塊を発見し、これを主人の老人に正直に届けた。
老人はこのことで牛飼いが正直者なのを認め、自らにコドモがいなかったため、ついに彼を養子にし、農地の経営を任せた。
元牛飼いは以前のようにつらい生活はしなくてよくなったが、夜になると悪夢にうなされるようになる。
そんなある日、呪文を教えてくれた道士が村を通りかかったので、そのことを告げると、道士は※のように言い、今の生活が幸福なので、その状態を前提に「福」を夢見ようとするから禍いを夢見ることになるのだ、と教えた。
がーーーん!
「ちょうだったのでちゅか!」
牛飼いはこのことばに大いに悟るところあり。
随道士出家而去。
道士に随いて出家して去る。
道士に従って出家して、行方をくらましてしまったのであった。
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というようなお話が40編あるのである。厭きてくる。わしもそろそろ道士に随うて行くか。(「中国通俗小説総目提要」を参照した)